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【中日歌詞】中島みゆきの「断崖―親愛なる者へ―」

katoxicapture | 2024-03-06 11:50:37 | 巴幣 2 | 人氣 64

中島みゆきの「断崖―親愛なる者へ―」
作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき 翻譯:katoxicapture

風は北向き 心の中じゃ
朝も夜中も いつだって吹雪
だけど 死ぬまで 春の服を着るよ
そうさ 寒いと みんな逃げてしまうものね、みんなそうさ

風吹向北方 心裡頭
不知從何時起 不分晝夜地颳起暴風雪
即便如此 臨死前 也要穿上春天的服飾
如此一來 一旦變冷 眾人便逃之夭夭、這世道不過如此

走り続けていなけりゃ 倒れちまう
自転車みたいな この命転がして
息はきれぎれ それでも走れ
走りやめたら ガラクタと呼ぶだけだ、この世では

如果沒有持續奔馳 將會倒下
如自行車般 輪轉下止的宿命
氣息斷斷續續 即便如此也必須奔馳
只要停滯不前 就只會被稱作「廢物」、這世道正是如此

冷えた身体を 暖めてくれ
すがり寄る町に 住む人とてなく
扉をあけて 出てくる人は
誰も今しも 旅に出る仕度、意気も高く

打開門 離開片刻的人
請溫暖我 冷卻的身體
依託的城市 連居民也沒有
此刻每個人 準備出門旅遊、意志高昂

生きてゆけよと 扉の外で
手を振りながら 呼んでる声が聞こえる
死んでしまえと ののしっておくれ
窓の中 笑いだす声を 聞かすくらいなら、ねぇ、おまえだけは

「活下去!」 可以聽見門外
一邊揮手 一邊呼喚的聲音
「去死吧!」 請這樣斥責我
當你聽見 窗裏發出的笑聲、欸、也只有你聽得見

生きる手だては あざないものと
肩をそらして 風を受けながら
いま 崩れゆく 崖の上に立ち
流し目を使う 昔惚れてくれた奴に、なさけないね

「生存的手段 不過是幼稚的伎倆」
側著身子 承受風的吹打
如今 佇立在逐漸崩解的懸崖上 
俾倪那些 過去迷戀我的傢伙、真是無情呢

風は北向き 心の中じゃ
朝も夜中も いつだって吹雪
だけど 死ぬまで春の服を着るよ
そうさ 寒いとみんな逃げてしまうものね
そうさ 死んでも春の服を着るよ
そうさ 寒いとみんな逃げてしまうものね

風吹向北方 心裡頭
不知從何時起 不分晝夜地颳起暴風雪
即便如此 臨死前 也要穿上春天的服飾
如此一來 一旦變冷 眾人便逃之夭夭
如此一來 即使死了也要穿上春天的服飾
如此一來 一旦變冷 眾人便逃之夭夭

そうさ 死んでも春の服を着るよ
そうさ 寒いとみんな逃げてしまうものね

如此一來 即使死了也要穿上春天的服飾
如此一來 一旦變冷 眾人便逃之夭夭


(作者日文程度欠佳,此僅作為翻譯練習,若有誤譯懇請指教。)
(歌詞翻譯亦受著作權保障,未經同意嚴禁轉載。)




語法

生きる手立ては あざないものと 肩をそらして 風を受けながら

あざない」は、今は死語となっているが、奈良大和地方の幕末から明治にかけて使われた方言である。
幕末から明治中頃に生きた教祖中山ミキは、当時の普通の言葉として「あざないもの」を度々使った。
「おふでさき」(教典)や教祖口伝として残り、天理教では現在でも盛んに使っている。
奈良の方言であったことから、天理教関係者を除けば、ほとんどの人は知らない。
「天理教」と「あざないもの」でネット検索すると、たくさんヒットする。

 「あざない」を方言辞典(日本方言大辞典 小学館 上 P77)で調べると
奈良県南大和の方言で、意味は幼稚で思慮分別がない、考えがあさはかなとある。

 「もの」を国語辞典(日本国語大辞典 第二版 小学館 第12巻 P1335 第3段)で調べると
文末にあって断定の語を伴い、話し手の断定の気持ちを強めた表現。

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創作回應

puddingpu
這首歌在1984年演唱會有一段隱藏版歌詞
2024-04-01 10:25:32
katoxicapture
這首是有兩種版本沒錯
2024-04-01 10:54:32

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