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【文章翻譯】「啊你們和貞德待一起是不會想來一發喔?」實際問了之後是如何。

作者:一騎│2019-03-17 18:34:59│贊助:600│人氣:26662
這篇文章我也在滑推特時看人分享至少5、6遍了,就想說翻譯出來讓更多人看見。
原文章也是去年七月的了,推特的推薦功能還算有做事嘛WWW




「啊你們和貞德待一起是不會想來一發喔?」
實際問了之後是如何。

「お前らジャンヌ・ダルクと一緒にいてムラムラしないの?」と聞いてみた結果






會讓人覺得「好高貴……」。實際上的確留有這種紀錄。

「尊い・・・」ってなる、という記録が実際残されている。



留下紀錄的是一位叫做戈貝.提玻的待從騎士,他曾經在1429年三月二十二日和神學家皮耶.德.凡爾賽一同會面聖女貞德。提玻在之後老實地對士兵們問了下面這個問題:「你們和聖女貞德(Jeanne la Pucelle)待一起是不會想來一發喔?」而其互動則如下述紀錄:

記録を残しているのはゴベール・ティボーという従騎士で1429年三月二十二日、神学者のピエール・ド・ヴェルサイユの共としてジャンヌ・ダルクと面会したことがある人物である。彼はのちに兵士たちに率直に尋ねてみたのだそうだ。「お前らジャンヌ・ラ・ピュセルと一緒にいてムラムラしないの?」と。そしてそのやり取りを以下の通り書き残した。



「在軍隊裡,他一直都和士兵們一同行動。我直接詢問了不少和珍娜很親近的人,他們都說對他是感受不到一絲一毫的性慾。要說為什麼的話,就算他們偶而會對他有色心,卻無論如何都做不出更逾矩的舉動,於是他們就變得深信,認為他們是不可能將珍娜作為情慾的對象。就算同袍之間在聊些性愛五四三,只要看到他的人,只要一靠近他,嘴裡就講不出那種內容,突然就會喪失掉性方面的興奮。關於這點我詢問過好幾位夜晚在珍娜身旁就寢的士兵,他們也都是異口同聲,還補充說他們在和他面對面時完全沒有色心。」(蕾吉娜.佩魯努,瑪莉=薇羅尼克.克蘭 著《聖女貞德》P78)

「軍隊においては、彼女はいつも兵士たちと行動を共にしていた。ジャンヌと親しかった者の多くから直接聞いたことだが、彼女に対して彼らが肉欲を感じることは金輪際なかったという。それはどういうことかというと、彼らが彼女に欲情を抱くことはままあったにせよ、どうしてもそれ以上の挙に出ることはできなかったので、彼らは彼女を欲望の対象にすることは不可能だと信じこむようになっていた。仲間同士で、肉欲を満たし、快楽を刺激するような話をしあったり、言葉を口にしたりしているようなときでも、彼女の姿が目に見え、彼女の方に近づいていくと、もはやそのような内容は口にできなくなり、突如として性的興奮は失せはててしまうのであった。この点に関しては夜ジャンヌのかたわらで就寝したことが何度もある兵たちの何人かに尋ねてみたが、彼らの答えは今いったとおりで、彼女と面と向かっているときには決して欲情を抱くことはなかったとつけ加えていた。」(レジーヌ・ペルヌー、マリ=ヴェロニック・クラン著「ジャンヌ・ダルク」P78)



或許是以此紀錄為本來作創作,山岸涼子的聖女貞德傳記漫畫
《天啟(レベレーション)》當中便有一段劇情,描述一位和貞德一同前往希農的弓箭手立夏想要對貞德不利,但是卻下不了手。

おそらくこの記録をもとにしていると思われる創作として、山岸凉子のジャンヌ・ダルク伝記漫画「レベレーション(啓示)」でジャンヌのシノン行を共にした弓兵リシャールがジャンヌを襲おうとしたができなかったエピソードが描かれている。




兩位貞德戰友的證詞

ジャンヌの戦友二人の証言



同樣的言詞,也還是口出於和貞德一同作戰的待從騎士約翰.德.努伊雍波Jean de Nouillonpont(約翰.德.梅斯Jean de Metz):

同様のことを、やはりジャンヌとともに戦った従騎士ジャン・ド・ヌイヨンボン(ジャン・ド・メッス)も語っている。



「在路途中,貝爾特朗和我每晚都和他一同就寢。少女穿著外套和長褲,就躺在我的旁邊。我對他一直都感到很敬畏,所以沒有想要誘惑他。我對天發誓,我對他沒有慾望或者肉體上的衝動。」(《聖女貞德復權審判》,P123-124)

「旅の途中では、ベルトランと私は二人とも毎晩彼女と一緒に寝たのですが、乙女は胴着とズボンをつけたまま私の側で横になっていました。私は彼女に畏敬の気持ちを抱いていたので、彼女を誘惑するような気持ちは起きませんでした。誓って申しますが、私は彼女に対して欲望や肉体的衝動はもたなかったのです。」(「ジャンヌ・ダルク復権裁判」、P123-124)



人們知道努伊雍波是貞德最早的理解者。他是沃庫勒爾城主羅貝.德.博德利克麾下的待從騎士,看到身著紅衣的少女來到城下嚷嚷著要見城主,要救法國的樣子很有趣,便稍微調侃他,但隨後努伊雍波便受到少女真摯的答覆所感動,向少女——聖女貞德(Jeanne la Pucelle)約定要帶他到國王的所在。

ヌイヨンボンはジャンヌの最初の理解者として知られる。ヴォークルール城主ロベール・ド・ボードリクールの配下の従騎士で、赤い服の少女が城下に訪れて城主に会わせろ、フランス王を救う、と騒いでいる様子を面白がって彼女をからかってみるも、その真摯な受け答えに感銘を受けて彼女――ジャンヌ・ラ・ピュセルを国王の下に連れていくことを約束する。



「我將手放上少女的手以表信賴之證明,對天主發誓將完成約定,帶他至國王所在。」(《聖女貞德復權審判》,P122)

「信頼の徴として私の手を乙女の手の中に置いて、神にかけて国王の許に案内しようと乙女に約束しました。」「ジャンヌ・ダルク復権裁判」、P122)



不僅如此,努伊雍波還怕貞德因為女性服裝不好動作,而給了他自己的侍從服裝。之後沃庫勒爾的居民們為貞德準備男用服裝,然而最早是努伊雍波讓貞德男裝的。努伊雍波信守諾言,從沃庫勒爾到希農城,再到奧爾良戰役,他都守在貞德身邊作戰。

そのうえで、女性の服装では動き難かろうと自身の従者の服を貸し与えた。その後、ヴォークルールの住人たちが彼女の為に男の服を準備することになるが、彼が最初にジャンヌを男装させたのである。彼はその誓いを守ってヴォークルールからシノン城、そしてオルレアンの戦いへとジャンヌを守って戦うことになる。



同樣地,和努伊雍波一同護衛貞德前往希農的貝爾特朗.德.普朗吉 (Bertrand de Poulengy) 也有一致的證詞:

同じくジャン・ド・ヌイヨンボンとともにジャンヌのシノン行を護衛したベルトラン・ド・ブーランジの証言も一致している。



「貞德他每晚,都和約翰.德.梅斯和我都一同就寢。他把長上衣牢牢地紮進長褲裡。那時候我人還年輕,然而卻沒有想要觸碰他身體的欲求或衝動。因為我在貞德身上感受到了『善』,所以也就沒有想要佔有貞德的情緒。」
(《聖女貞德復權審判》,P130)

「彼女は毎晩、ジャン・ド・メッスと私と一緒に寝ましたが、彼女は長い上着とズボンをつなぎあわせ、しっかり身につけていました、そのころ私は若かったのですが、彼女の体に触れようという欲求や衝動は覚えませんでした。私は彼女の中に感じられる善なるもののために、ジャンヌをものにしようという気は起らなかったのです。」(「ジャンヌ・ダルク復権裁判」、P130)



兩邊都是1456年所舉行的聖女貞德復權審判時所出現的證詞,作證時約翰.德.努伊雍波(當時他已經授爵成為了梅斯一地的領主,便自稱約翰.德.梅斯)57歲,貝爾特朗.德.普朗吉63歲。當時自從和貞德出行時已經過去27年,所以當時兩人分別是30歲及36歲,都還是年輕力壯的騎士。

どちらも1456年に行われたジャンヌ・ダルク復権裁判での証言で、証言時ジャン・ド・ヌイヨンボン(授爵してメッスの領主となりジャン・ド・メッスを名乗っている)は57歳、ベルトラン・ド・ブーランジは63歳。ジャンヌとの旅から27年経っているので当時は30歳と36歳と男盛りの騎士だった。




大貴族阿朗松公爵約翰二世的證詞

大貴族アランソン公ジャン2世の証言



像這樣讚好貞德的人還不只有上面兩位。以貞德最要好的戰友而勇名遠播的貴族阿朗松公爵約翰二世也是其中一人。他也在復權審判做出以下證詞:

このようなジャンヌ尊い勢は彼らだけではない。ジャンヌ第一の戦友との誉れ高い貴族アランソン公ジャン2世もその一人である。彼も復権裁判で以下のような証言をしている。



「有時在部隊裡,我和貞德和其他士兵睡在『稻草堆中』。有時候我會看見貞德在更衣準備就寢,也有看過她美麗的乳房。可是我沒有感受過肉體上的慾望。」(《聖女貞德復權審判》,P192)

「時には部隊の中では、私はジャンヌや他の兵士たちと『藁束の中で』寝ました。時にはジャンヌが夜の支度をするのを見たこともありますし、美しい乳房を目にしたこともあります。しかし肉体的欲望を覚えたことはありません。」(「ジャンヌ・ダルク復権裁判」、P192)



「貞德是美乳」這裡考試會考。

「ジャンヌは美乳」ここ試験に出ます。



阿朗松公爵約翰二世是位別稱美男公爵的貴公子,還是瓦盧瓦王家旁系的名門貴族。他深獲信賴,甚至擔任從查理七世到王儲路易(其後的路易十一世)等數代國王的教父。約翰二世在希農城認識貞德,雖然沒有參加奧爾良戰役,但之後直到帕提戰役為止都擔任英格蘭軍追擊作戰的總指揮,成為查理七世在漢斯加冕的功臣。他在加冕典禮時擔任持拿王冠的諸侯首領腳色。

アランソン公ジャン2世は美男公の異名で知られた貴公子でヴァロワ王家の傍流にあたる名門貴族である。シャルル7世から王太子ルイ(のちのルイ11世)の代父を任されるほど高い信頼を得ていた。シノン城でジャンヌと知り合い、オルレアンの戦いには参加していないがその後のパテーの戦いまでのイングランド軍追撃作戦の総指揮を執り、シャルル7世のランス戴冠の立役者となった。戴冠式では王冠を支え持つ諸侯筆頭の役割を与えられている。



可是,和貞德非常親近又心醉於他,還漸漸成了對英主戰派的領袖,這些事情都改變了他的命運。貞德死後,開始著手集權化的國王與諸侯對立,王儲路易與查理七世不睦,種種不合使得阿朗松公爵和國王發生衝突。1440年,在布拉格叛亂中,約翰二世與波旁公爵一同以首謀者的身分擁立王儲路易揭竿起義。叛亂鎮壓後雖然獲得赦免,但與國王的對立並沒有消除,在這場復權審判出言作證後沒多久,約翰二世遭以大逆之罪逮捕,直到1476年67歲逝世時都在蹲苦牢。從第一名的忠臣墜落到最大的反叛者,我們可以得知,後世的創作在這種太過心醉於貞德導致身敗名裂的腳色,多半都是由吉爾.德.雷所擔任,而約翰二世則是其實際參考的人物。

しかし、ジャンヌと非常に親しく彼女に心酔して対英主戦派の領袖となっていったことが彼の運命を変えた。ジャンヌ死後、集権化を進める王と諸侯の対立、王太子ルイとシャルル7世との確執などが相まって、アランソン公は王と衝突するようになり、1440年、プラグリーの乱ではブルボン公とともに首謀者として王太子ルイを擁立して反旗を翻した。反乱鎮圧後許されても王との対立は解消されず、この復権裁判での証言の直後、大逆罪で逮捕され、1476年に67歳で死ぬまで獄中の人となる。第一の忠臣から最大の反逆者へと堕ちた彼の人生からわかる通り、ジャンヌに心酔しすぎて身を滅ぼすという後世の創作ではジル・ド・レに与えられることの多い役回りを実際にたどった人物である。



正因為約翰二世非常傾心於貞德,才會侃侃而談各種和貞德的美麗回憶,而不侷限於這段美乳小插曲。或許對他而言,和貞德一同打拼奮鬥救法國的過往,是一段榮譽璀璨的時候。

そんな彼だけに、このジャンヌ美乳エピソードに限らず様々なジャンヌとの美しい思い出を語っている。彼にとってジャンヌとともに駆け抜けたあの頃というのは栄光の時代そのものだったのだと思わされる。



有人或許會想「啊不對啊,阿朗松公爵也太瘋貞德了吧?」為此這邊也介紹一位稍微冷靜的人物的證詞吧。貞德的副官約翰.多隆也對於是否對貞德有情慾一事做出如下證詞。

いや、アランソン公はジャンヌガチ勢すぎない?という人のためにもう少し冷静な人物の証言も紹介しておこう。ジャンヌの副官ジャン・ドーロンもジャンヌに欲情したのか問題についてこのような証言をしている。




貞德副官約翰.多隆的證詞

ジャンヌの副官ジャン・ドーロンの証言



「他是一位美麗而成熟的年輕女孩;我幫他穿著鎧甲時會見到他的乳房,有時在為他療傷時會見到他的裸足,也時常和他處得很近——另一方面,我也是很強健而且年輕力壯——可是,雖然我有機會看到少女的身體,有機會碰觸他,卻完全沒有對他起肉體上的慾望。這點也發生在他的每位部下和親信身上,我有好幾次都聽到他們在談這件事……」(《聖女貞德復權審判》,P208)

「彼女は美しくて成熟した若い娘であり、またあるときは彼女が武装するのを手伝ったりする折に、私は彼女の乳房や、時には傷の手当てをしてやるために何もまとわない脚を目にすることもありましたし、度々彼女に近づくこともありました――一方私のほうも頑健で、若くて、力に満ちていたのですが――しかし乙女の体を眺めたり、乙女に触れたりする機会があったにもかかわらず、私には彼女に対する肉体的欲望は絶対に起きませんでした。またこれは彼女の部下や近習たちのだれもが同様で、このことを彼らが語るのを何度も聞いています・・・・・・。」(「ジャンヌ・ダルク復権裁判」、P208)



後世也有人鼓吹說貞德並非美女,實際上,關於貞德的外貌也沒有留下紀錄,我們也就不得而知,但當時距離最近的約翰.多隆都明明白白地寫說「美麗而成熟」,這裡筆者就當作舉例。

後世、ジャンヌ美人じゃなかった説も囁かれたりして、実際、ジャンヌの見た目については記録が残っていないためわかっていないが、当時のもっとも身近だった人物であるジャン・ドーロンは「美しくて成熟した」とはっきり書いているという例として挙げておこう。



多隆也深受國王信賴,並作為貞德的副官發揮維持部隊的能力。在康比涅時他和貞德一同被俘,獲釋後也在百年戰爭有所表現。復權審判當時多隆受任南法要衝博凱爾,還名列國王顧問會議的一分子,是查理七世的重臣。

ドーロンは国王からの信頼も厚く、ジャンヌの副官として部隊の維持にその手腕を発揮、コンピエーニュではジャンヌとともに捕虜となり、そのあと解放されてからも百年戦争で活躍、復権裁判当時は南フランスの要衝ボーケールを任され、国王顧問会議の一員にも名を連ねるシャルル7世の重臣となっている。



法國方當時的貞德熱潮實際上相當強烈,查理七世的親信當中還真的有人講貞德「太天使了」。不過,貞德是聽見天使的聲音而自己本身則並非天使。實際上,要是不先停在他們是覺得貞德很尊貴,而貞德真的是天使的話,在否定他的異端性質上是令人非常傷腦筋的,所以一部分覺得「貞德太天使了!」的狂熱粉絲,都會在復權審判時被無視得很禮貌。

フランス側の当時のジャンヌ熱は実際強くてシャルル7世の側近の中には「マジ天使」などと言う者も本当にいた。とはいえ、ジャンヌは天使の声を聴いたのであってジャンヌ自身が天使なのではない。尊い・・・でとどめておいてもらわないと、実際、天使であってはジャンヌの異端性を否定する上で非常に困るので、そのあたりのマジ天使!な熱狂的な人たちは、復権裁判時は丁重に無視される。




歐洲中世紀的女性觀——靈魂與身體的貞潔

中世の女性観~魂と身体の純潔性



另一方面,關於在貞德遭囚期間的證詞還有如下這段。證詞者是一位叫艾蒙.德.瑪習的勃根地騎士。當時勃根地是英格蘭的同盟國,對立於法國國王。抓獲貞德的也是勃艮地公國的李尼伯爵的軍隊。艾蒙.德.瑪習的君主是李尼伯爵約翰.德.盧森堡,他抓獲貞德後便將他引渡至英格蘭;兩人一同前往李尼伯爵所有的伯雷瓦爾城會面遭囚的貞德,並做出了非常糟糕的行徑。

一方、ジャンヌが囚われている間に関する証言としてこんなものがある。証言者はエーモン・ド・マッシーというブルゴーニュ騎士である。当時ブルゴーニュはイングランドの同盟国でフランス王と対立していた。ジャンヌをとらえたのもブルゴーニュ公国のリニー伯軍であった。エーモン・ド・マッシーは主君であり、ジャンヌをとらえてイングランドに引き渡すことになるリニー伯ジャン・ド・リュクサンブールの共として、リニー伯が所有するボールヴォワール城に囚われているジャンヌと面会し、実に最低な行為に及んだ。



「我初次見到貞德時,他正被監禁在位於李尼伯爵監督底下的伯雷瓦爾城。我在監牢見過他數次,也聊過幾次。我好幾次都想捉弄他,想要把手放到貞德的胸上觸摸乳房,但是他既不允許,還使盡力氣拒絕我。貞德的措辭和舉動都完全不改他認真的態度。」(《聖女貞德復權審判》,P230)

「私がはじめてジャンヌにあったのは、彼女がリニー伯殿の監督権のもとでボールヴォワールの城に監禁されていたときのことです。私は牢獄で数回彼女に会っており、何度も話をしています。ふざけながらですが、私は何度か彼女の胸に手を置いて乳房に触れようとしたことがありますが、ジャンヌは許しませんでしたし、力一杯私をはねつけました。ジャンヌは言葉使いでも、振る舞いでも間違いなく真面目な態度を崩しませんでした。」(「ジャンヌ・ダルク復権裁判」、P230)



歐洲中世紀的女性觀是非常殘酷的。他們非常重視女子的貞潔,要求身體的貞潔和靈魂的貞潔互相補足。但另一方面卻又存在非常多性暴力的危險。

中世の女性観というのは非常に残酷である。純潔性をことさら重視して身体の純潔性と魂の純潔性とを相互に補完させることを求める。一方で性的な暴力の危険は実に多く存在する。



「在中世紀的司法,強姦年幼女孩和聖別後的處女會受到非常嚴厲的懲罰。可是,要是被害者沒有抵抗,沒有大喊或是沒有求救,都會被認作合意。不過在防禦這個身體貞潔這點上,天主以奇蹟來拯救這些處女。」
(柯雷.波奴《幻想的聖女貞德——中世紀的想像力與社會》
「幻想のジャンヌ・ダルク―中世の想像力と社会」P152)

「中世の司法は、ごく若い娘と聖別された処女の強姦を非常に厳しく罰する。しかし、抵抗しなかったり、叫んだり助けを呼ばなかったりした被害者は、合意しているとみなされる。もっともこの身体の純潔を防御するという点では、神は奇蹟によって処女たちを救う。」(コレット・ボーヌ「幻想のジャンヌ・ダルク―中世の想像力と社会」P152)



因此,前述中貞德同袍們的證詞應該能夠理解成他們將貞德看作一個連結於靈魂與身體貞潔性的存在——正因為他們在貞德身上看見靈魂的貞潔,所以他們也就下意識地、極其自然地自己壓抑對貞德身體的性欲——我們可以隱約見得這種歐洲中世紀時的心理性質。像這樣不是只單純接受一次史料,而是考慮當時世間的心理作解讀,也是在面對史料上的一個有趣之處。當然我們也必須要考慮到,復權審判上的供述總體所要求的導向,是在於貞德很貞潔,所以要求放棄異端判決。

ゆえに、前述のジャンヌの戦友たちの証言は魂と身体の純潔性とが結びついた存在としてジャンヌを見ていた結果として理解できよう――ジャンヌに魂の純潔性を見ていたがゆえにジャンヌの身体に対する性的な欲求を、おそらく意図せず至極当然のこととして自ら抑えていた――そういう中世的心性が見え隠れする。このように一次史料をただ受け入れるのではなく当時の心性を考慮して読み解くというのは史料にあたる上での面白さの一つである。もちろん、復権裁判での供述の総体が導こうとしている方向が、その彼女の純潔性ゆえの異端判決の棄却であるという点も考慮しなければならない。



相對於這點,在貞德的行刑審判上,就正是以褻瀆他靈魂和身體的貞潔為目標。可是,筆者認為審判沒有辦法玷汙貞德的身體貞潔。在此擔任要角的,是貝德福公爵夫人安娜.德.勃根地。

これに対して、ジャンヌの処刑裁判においては、まさにその魂と身体の純潔性をこそ穢すことが目指された。しかし、その彼女の身体の純潔を汚すことはできなかったと考えられている。これに重要な役割を担ったのが、ベッドフォード公妃アンヌ・ド・ブルゴーニュである。



貝德福公爵約翰是先王亨利五世的弟弟,並擔任年幼國王亨利六世的攝政輔佐政務,也是擔任對法戰爭總指揮的英格蘭最高權力者。英格蘭的快速進擊就是由他的幹練所促成,處刑貞德也有很大一部分是出於他的意思。貝德福公爵的妻子安娜人如其名,是勃根地公爵菲利浦三世的妹妹。當時,英格蘭和叛離自法國國王的勃根地公國締結同盟,使得百年戰爭進行得對英有利。但是,打從奧爾良包圍戰之前兩國的同盟關係就已經惡化,特別是英格蘭正處在著手於改善和勃根地的關係的節骨眼上。而聯繫兩國同盟關係的最重要人物,就是貝德福公爵夫人。

ベッドフォード公ジョンは先王ヘンリ5世の弟で幼王ヘンリ6世を摂政として補佐し、対仏戦争の総指揮を執るイングランドの最高権力者である。イングランドの快進撃は彼の辣腕が支えていたし、ジャンヌの処刑も彼の意志によるところが大きい。その妻アンヌはその名の通りブルゴーニュ公フィリップ3世の妹にあたる。当時、イングランドはフランス王から離反したブルゴーニュ公国と同盟することによって百年戦争を有利に進めることができていた。しかし、オルレアン包囲戦前から両者の同盟関係は悪化しており、特にイングランドはブルゴーニュとの関係改善をもくろんでいる最中だった。その両国の同盟関係をつなぐ最重要人物が彼女だった。



貝德福公爵夫人安娜是一個非常有趣的人物。她很積極於救濟貧民,自己也會進到庶民之間做濟貧活動,最後她因為該活動而染病,於1435年過世。而由於她的死,失去連結的英勃同盟崩解;1435年貝德福公爵過世,以此為契機,同年在阿拉斯會議上法國和勃根地公爵和解,孤立的英格蘭最終幾乎失去所有的大陸領土,百年戰爭終至結束。

ベッドフォード公妃アンヌは興味深い人物である。貧民救済に積極的で自ら庶民の間に入って救貧活動を行ったりする。結局その活動が元で病気になり1432年に亡くなるのだが、彼女の死によって、かすがいを失ったアングロ・ブルギニョン同盟は崩壊、1435年のベッドフォード公の死を契機として同年アラス和約でフランスとブルゴーニュ公が和解し、孤立したイングランドは最終的に大陸領土のほぼすべてを失って百年戦争の終了へといたる。



在貞德行刑審判上,安娜負責監督檢查貞德的貞潔,受到他的態度所打動,而且還「命令獄卒不准對他亂來」(佩盧努《聖女貞德》P198)這道命令之強,可以一窺安娜的存在在當時的英國有多麼重要。貝德福公爵夫人安娜即便是敵人,卻還是要以有權者的身分庇護貞德,有這樣一位女性,值得一書。

ジャンヌ・ダルク処刑裁判において、アンヌはジャンヌの純潔検査を監督、彼女の態度に感銘を受け、その上で「彼女に対して手荒な扱いをしないよう獄卒たちに命じている」(ペルヌー「ジャンヌ・ダルク」P198)。この命令の強さは当時のイングランドにおける彼女の存在の重要性からうかがいしれよう。たとえ敵方であっても権力にある者として弱い立場にあるジャンヌを守ろうとしたベッドフォード公妃アンヌという女性がいたという点は、特筆されてよい。



實際上,在行刑審判時,虐待是家常便飯,還會有可能遭到下毒,貞德自己也總是提心吊膽的,就怕遭受性暴力;但至少審理變得在以貞德守住貞潔為前提來進行。更者,法官們也並非團結一致,有不少人都很同情貞德,而貞德本人也以毅然決然的態度面對審理。因此以皮耶.科雄為首的親英派法官們才不得不搞了一堆小動作,以「打破誓言再度男裝」=「回歸異端」這樣強硬不通的邏輯將貞德推上火刑台。

実際、処刑裁判では、日常的な虐待はもちろんあり毒を盛られたのではと疑われる事態もあるしジャンヌ自身常に性的な暴力を受ける危険を感じていたが、少なくとも彼女の純潔性が守られる前提で審理が進むことになった。さらに裁判官たちも一枚岩ではなく少なからずジャンヌに同情的な者たちも多く、ジャンヌ自身が毅然とした態度で審理に臨んだことで、ピエール・コーションをはじめとする親英派の裁判官たちはあれこれと小細工を弄して、「誓いを破って再び男装した」=「戻り異端」という無理あるロジックでの処刑をせざるをえなくなる。



同時代的人們會對貞德起性慾嗎?這個有點隨便的問題,最後拉出了歐洲中世紀的心理特質以及對女性的宗教性性規範觀念,筆者認為這種探討富饒趣味。在此筆者一面期待有學者能夠更深入探討,一邊嘗試簡述這樣一段應該在我國不為人所知的,貞德相關人物的小故事。

ジャンヌに対して同時代の人々は欲情したのか?という軽めな問いの結果、浮かび上がってくる中世的心性と女性に対する宗教的性規範観、というアプローチはなかなか興味深いと思うので、誰か研究者の掘り下げに期待したいと思い、本邦ではあまり知られていないだろうジャンヌ関連人物のエピソードも交えて簡単に紹介してみた。




參考書籍 (作者部分由於並沒有找到原文拼寫,便以假名翻譯為準)

蕾吉娜.佩魯努、瑪莉=薇羅尼克.克蘭 著《聖女貞德》(絕版)
蕾吉娜.佩魯努 編著《聖女貞德復權審判》(絕版)
柯雷.波奴《幻想的聖女貞德——中世紀的想像力與社會》(庫存甚少)
孔漢思《基督宗教是如何看待女性——從原始教會到現代》(絕版)

参考書籍

レジーヌ・ペルヌー、マリ=ヴェロニック・クラン著「ジャンヌ・ダルク」(絶版)
レジーヌ・ペルヌー編著「ジャンヌ・ダルク復権裁判」(絶版)
コレット・ボーヌ著「幻想のジャンヌ・ダルク―中世の想像力と社会」(在庫僅少)
ハンス・キュンク著「キリスト教は女性をどう見てきたか―原始教会から現代まで」(絶版)




人名、地名對照
(有些比較冷僻的人名比較難找到原文的表記,文章中也並沒有標,不知道的只好空下)

日語譯名
法語名
華語譯名
ゴベール・ティボー

戈貝.提玻
ピエール・ド・ヴェルサイユ

皮耶.德.凡爾賽
ジャン・ド・ヌイヨンボン

ジャン・ド・メッス
Jean de Nouillonpont

Jean de Metz
約翰.德.努伊雍波

約翰.德.梅斯
ロベール・ド・ボードリクール
Robert de Baudricourt 羅貝.德.博德利克
ベルトラン・ド・ブーランジ
Bertrand de Poulengy 貝爾特朗.德.普朗吉
アランソン公ジャン2世
Jean II d'Alençon 阿朗松公爵約翰二世
ジル・ド・レ
Gilles de Rais 吉爾.德.雷
ジャン・ドーロン

約翰.多隆
エーモン・ド・マッシー

艾蒙.德.瑪習
ジャン・ド・リュクサンブール
(リニー伯)
Jean de Luxembourg-Ligny
約翰.德.盧森堡
(李尼伯爵)
アンヌ・ド・ブルゴーニュ
Anne de Bourgogne 安娜.德.勃根地
ピエール・コーション
Pierre Cauchon 皮耶.科雄

        其他人名

シャルル Charles 查理
ルイ Louis 路易
リシャール
立夏

ジャンヌ・ダルク

ジャンヌ・ラ・ピュセル
Jeanne d'Arc (現代拼法)
Jeanne la Pucelle
貞德
聖女貞德

ジャンヌ

Jeanne 珍娜

"la Pucelle" 有「少女、女侍」的意思,但由於華語當中並沒有特別相應的用詞,
我就把 "Jeanne la Pucelle" 和 "Jeanne d'Arc" 一併翻作「聖女貞德」,
並額外補上原文。

另外,「貞德」一名是專指 "Jeanne d'Arc",而只有"Jeanne"時,是指「珍娜」。
有時候會看到一些沒有素養的譯者在其他非FGO或是不一定和聖女貞德有聯繫的作品角色上,一看到ジャンヌ就直接翻「貞德」,我也是只能搖頭了。
這已經不是「意思通就好」的問題,而是沒有素養。

關於貞德的名字表記(英文條目)



日語譯名 法語名 華語譯名
シノン
Chinon 希農
ヴォークルール Vaucouleurs 沃庫勒爾
オルレアン Orléans 奧爾良
パテー Patay 帕提
ランス Reims 漢斯
コンピエーニュ Compiègne 康比涅
ブルゴーニュ
Bourgogne
勃根地
(or 勃根第)




「尊い・・・」這種表現怎麼翻都很翻譯腔
引用網址:https://home.gamer.com.tw/TrackBack.php?sn=4328182
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留言共 47 篇留言

紅染憐華
總覺得這個美麗而聖潔的少女喚醒了人們心中對於榮譽感的追求,放棄玷汙這份潔白的慾望,更加希冀於以光榮的作為來獲得聖少女的認同。

03-17 19:03

一騎
如果講得自私一點,就是怕自己對貞德動慾的話,他們心目中的希望也就跟著毀了,
所以保全貞德的處女之身,算是保全自己的心理。03-17 19:07
千晴
很喜歡譯者回文的詮釋

03-17 19:42

白玉銀龍
這讓我對當時的教會更加的痛恨了起來了…簡單的說 就是怕這引起一連串的奇跡的少女動搖了教會的權力跟宗教之外

03-17 19:53

白玉銀龍
也跟當時的英與法的政治軍事上的角力跟利益鬥爭有關 貞德當時可是動搖兩方消長的重要人物

03-17 19:53

白玉銀龍
當時可是在持續下去 英國在歐陸上搶走的法國領土的土地很有可能奪回去外 更很有可能讓英國永遠失去法國的政治影響力的

03-17 19:53

白玉銀龍
畢竟有當時法國的高層 有半數都有一半是與老英有關聯或是 而且也有跟英國的教會有關聯

03-17 19:55

一騎
可是我看起來處死貞德也只是政治上的緩兵之計。03-17 19:59
白玉銀龍
又 其實當年這樣有爭議的異端審判 其實貞德並不知道可以讓梵蒂岡的教廷介入審訓的 不然教廷介入 又很難想像到歷史怎樣的演變了就是

03-17 19:57

一騎
這部分我會覺得責任要算貝德福公爵夫人一份欸。
貴族修習的素養,培養的人脈,都會比一個農家女多。03-17 20:05
白玉銀龍
而且 基督教的這分支出現 也是因為一連串的教會過度影響歐陸的個國政治與經濟乃至王權法律的跟腐敗的緣故才導致的必然結果

03-17 19:59

白玉銀龍
雖說我對十字架某些理念非常的反感就是

03-17 20:00

白玉銀龍
貞德的死 出來英方的教會有意之外 更多的是親英的貴族在暗地裡的持續施予壓力有關

03-17 20:01

一騎
很明顯啊,畢竟貞德人就是清白到要故意黑她才能定刑。03-17 20:06
白玉銀龍
而且當是 教廷似乎打算主動去關注前 就已經把貞德處刑掉了 死無對證之下 任由教會怎說 教廷也沒法在提出異議的了

03-17 20:03

白玉銀龍
貞德的平反也是死後多年的事情 封為聖人更是上世紀初的事情

03-17 20:04

GioGio
這篇真有趣,貞德對軍人而言是何等的希望,以至於他們能夠不起性慾的與貞德相處,以避免希望的破滅,這篇某種程度上描寫出了法軍對貞德的信仰之深。

03-17 20:05

一騎
這個小細節很貼近生活,又能看到法軍當時的心境。
作者能想到這個問題,又能做探討,真的很厲害。03-17 20:20
娃娃國持劍儀兵
被標題騙了(X),原來裡面是很正經的考察文

03-17 20:11

一騎
WWW[e12]03-17 20:15
白玉銀龍
夫人其實在貴族中難得的公正 雖說親英 但是沒她的命令 貞德真的會被侵犯 更別說男裝與短髮的事情 其實夫人也幫了不少

03-17 20:13

一騎
這樣說也對。可能是我對夫人的立場預設有點偏了。03-17 20:17
白玉銀龍
而且夫人很大的態度上 是以公正的法理立場上的貴族 親英是一回事 行事公正的素養又是另一回事

03-17 20:14

白玉銀龍
對於當時一蹶不振的法軍來說 貞德帶起的奇跡也非偶然 貞德根據歷史記載 她很常用突擊強攻戰 跟當時以騎士為主且都互嗆名頭才開打的戰法不同

03-17 20:16

一騎
我認為可以說農家女的身分,讓他可以不受當時的禮節羈絆;
但相對地他也沒辦法動用更好的方法讓自己擺脫英方抹黑,這部分很人性,也很可惜。03-17 20:24
白玉銀龍
對方在嗆聲的時候 貞德不理會的就直接帶人硬衝強行把英軍的陣式給打成一團亂 直至完全的潰敗 連攻城也是採取單點突破 打破缺口 敵方的防線就會被湧上的法國給徹底撕裂跟瓦解了

03-17 20:19

白玉銀龍
其實貞德的作戰方式 就跟當時蒙古人對歐洲騎士也一樣 不同的是 碾不過就跑 敵方撤退就掉頭咬 野戰騎士就是這樣被蒙軍給吃到 至於攻城 蒙古人就有點爛了就是

03-17 20:29

白玉銀龍
但是蒙古有一特點 攻城前會先給投降機會 不投降 被攻破後都被遭受屠城的下場

03-17 20:31

白玉銀龍
而貞德難得之處 在與她的純潔與那身先士卒的精神 衝鋒是帶頭的 攻城也是拿著旗幟帶頭的 貞德除了一場的攻城戰被射中一箭外 其餘幾乎無傷 這是很罕有的

03-17 20:34

一騎
我是當時候英國人的話,看了都會怕WWW
應該也是多虧他身邊兩位護法(X 努伊雍波和普朗吉的掩護吧。03-17 20:54
白玉銀龍
我曾預言白貞的寶具麻痺拔掉 肯定飛天 事實上也對了 寶藍藍EX 跟本就是開了無敵後狠狠的敲人就是
這改掉後就有日本的畫師把白貞畫成坦克硬衝的圖…

03-17 21:46

白玉銀龍
事實上 貞德很重視旗幟 即便受了箭傷咬牙讓身邊的將領折斷箭頭拔出後 忍著痛的揮旗幟指引後面湧上的法國作戰

03-17 21:48

白玉銀龍
她很清楚 旗幟一但折損或是倒下 代表主帥有失 士氣與戰意會很快的迅速潰散 加上揮旗的不是本人 那也會影響士氣 所以在某方面 貞德對於軍隊士氣與紀律很重視

03-17 21:51

白玉銀龍
她當時嚴禁任何的娼婦進入軍隊裡 也嚴禁自己領的將領做出調戲任何婦女的事情 這也影響到對指揮調度上的執行效果

03-17 21:52

一騎
哦哦@@ 這樣的話,能夠遵守禁令的士兵們也很會忍欸。03-17 22:03
白玉銀龍
這名受到啟示而發起救國的少女喚起的可不是奇跡 僅二年的時間 就讓法國在軍事上與政治上都徹底的大逆轉也不為過

03-18 02:28

白玉銀龍
所英格蘭的教會與部分的親英貴族才會想辦法弄死他 包刮當時可能的王儲也不積極的營救 代表她掀起的奇跡可是在軍政上的衝擊有多麼大就是

03-18 02:28

齊格琳德
勝利者查理後來對自己的消極營救保持著很大的內疚 因此戰後積極的去作平反

03-18 05:57

Mick
這就跟你不會想跟蔡英文來一發一樣啊

03-18 10:05

一騎
呃…...這種比喻我是不敢苟同啦哈哈......03-18 10:10
提督退役迦勒底神遊中
實際上其實這牽涉到尊重這回事。

基本上法蘭西人相當尊敬,甚至是崇敬貞德,將她與自身擺在同高甚至更高的位置,在這狀況下他們不會真的去染指貞德相當合理(當然有沒有動過一點點那種念頭就不知道了,畢竟話誰都會講但性衝動誰也同樣誰都可能會有吧...能不能自控的問題而已)

而那些想要弄死貞德的人自然沒要尊重貞德的意思,這就是為什麼貞德在被關押後會有性暴力行為出現的原因。

對女性的這種權力支配關係常常伴隨著性問題,這相當令人無奈的是事實,這也是為什麼我特別心疼貞德...

03-18 10:17

一騎
沒有錯。
畢竟是敵國人,那要玷污他的靈魂,也就是貞德的身體,就不會多猶豫,只有最低限度的基督教教會價值觀。
除非大聲呼救或抵抗,
不然就會被認定是合意性交而非強暴。
比照意圖對貞德不利的英格蘭方騎士,
貝福德伯爵夫人的命令更顯得公正。03-18 10:46
ISAO
la Pucelle 這詞,如果譯作:「聖僕之女」,不知大大以為如何?
因為貞德在面對大眾與政治人物的時候,總是謙卑地說自己的行動,都是遵從神的旨意。
雖然不曉得這話是不是用來擋掉那些野心家的染指?但這樣的說法在基督教文明的社會裡,確實會獲得很多人的支持與敬重,一如耶穌是降生在馬槽般,一個農家少女能不經思索說出這樣的話語,那更是難能可貴,因為當時的人只能透過神職人員學習知識哩。

03-18 11:29

一騎
駁回。
la pucelle整篇文章只出現兩次。
為了讀解方便,我才做出此解。
就像 Jean 和 John 我都翻譯成「約翰」一樣。03-18 15:06
DOM
真的內疚?是因為如果貞德是“魔女”那查理的王權就會因『依靠魔女上位』而動搖~

03-18 13:04

提督退役迦勒底神遊中
關於查理七世的事情我每次都要出來吐槽幾句,其實真的很累。
後來嘗試用英文去調查這些事,發現這些陰謀論的聲音也沒有比較小,索性砸錢去買了一些書籍來看。

不過再累我還是要說,實在不想讓貞德的史實變成一團混亂。

那些都是後世的抹黑,真實的情況是:

1. 查理七世窮得半死,他根本沒英國方有這麼多錢付贖金
2. 照理來說,貞德的從屬權要經過雙方協調,誰都不能隨便決定,但當時的羅馬公教其實時常牽涉政治,本來的雙方協調變成英方主張「貞德是在天主教博韋教區被抓的,所以應由博韋主教裁定」。
他們會這樣說的原因是,博韋主教是親英派。
3. 一直想把貞德賣回去給法國高官的盧森堡公爵(而且也是查理七世授意去討論贖回事宜的人)似乎也承受了不少英方壓力,最後他沒扛的下那些壓力只能同意把貞德交給英方。


所以說查理七世不是不想救貞德,是救貞德這件事跟往常的戰俘贖回不同,完全已經變成政治戰了。

而且要動武更不可能,圍爐勃艮地但沒能有效深入,勃艮地也是選擇在遠離戰區的地方移送貞德,尤其是在貞德被送進諾曼第的領地深處之後完全已經不能靠軍事手段了。
整個英軍在貞德死後幾十年才被打敗,怎麼可能在1430年左右就打進去?

查理七世當然內疚,貞德是他堅定的支持者,沒有貞德他根本當不上王,但他自己無力到連這樣子能夠幫助他、讓法軍能夠反擊的人都救不出來,這樣還不內疚那也真的沒藥救了。
這也是他在打退英國後幾乎是立刻開始幫貞德平反的原因。

說貞德功高震主...
我只能說貞德本身太單純沒有政治腦袋,這在審判階段的時候就有人提到過,除了在戰場上,貞德是真的相當單純,某些她本人的言論來看,她的想法單純到還真的有點稚嫩。

而且貞德也沒資源去動搖法王,中世紀的農民沒那個本錢跟貴族玩政治遊戲,何況她還是女性(百年戰爭的起因就是法蘭西的王位爭奪,那時候的意見就是女性沒有繼承權所以王位才沒有歸英王),我想不到查理七世當下有把她當政敵的理由。

(那種假設的,未來幾十年的可能性不需要談,貞德沒有那個未來,而且當下法蘭西可能都要沒未來了,依照嚴重程度查理七世不可能把貞德在這時候把根本沒有任何上位跡象的貞德除掉,對法軍士氣沒有益處,某種程度而言,查理七世願意這樣相信貞德也是因為她就是個村姑沒啥實權可言。)

03-18 14:07

白玉銀龍
貞德的抹黑 其實都是英格蘭在搞的
又 其實在貞德被抓且受審訊的時候 一開始的確還只是異端審判 但是面對教會那種雙向陷阱的審問 貞德的回答總讓審訊官啞口無言就是

03-18 14:26

白玉銀龍
到了後面 變成了政治迫害 英格蘭這方打從心裡就是注定要弄死她 搞壞她的聲譽 藉以進一步打擊法國的政治與信仰還有軍隊的士氣

03-18 14:29

蹲路旁的阿鬼
很棒的一篇文獻級文章,值得更多人看到

03-18 14:30

白玉銀龍
當時兩軍其實是陷入焦著的 英軍士氣雖低 戰力依舊充足 法軍戰意高昂 卻苦統籌的主帥與補給的不足…加之財政只有艱困來形容

03-18 14:32

白玉銀龍
諷刺的是 燒死了貞德後 法國上下非但沒有精神上的崩潰 反而引爆了所有法國從王室貴族至平民個階層的大團結

03-18 14:37

白玉銀龍
勃艮第也佔著很重要的角色 在查理跟領主和談後 基本上 英格蘭在歐陸法國的佔領土地以經完全失去控制力 爾後沒多久時間就被法國把英軍全數趕回不列顛去

03-18 14:41

紅染憐華
那個......就算菲利浦和查理七世和談,英格蘭還是掌握了諾曼第以及阿基坦地區、重要口岸加萊,並不是完全喪失控制力。勃艮地公國掌握著商業發達的富庶低地地區,作為法國最強大的諸侯,菲利浦的意向能夠左右整個戰局變化。因此這次的會議對全局而言是決定性的而不是單純的查理和領主談和。

03-18 19:34

普羅米修斯
還以為4什麼點進來會石更火暴的東西== 我褲子都脫了..

03-19 17:29

一騎
那就再穿回去吧www03-19 17:30
水澗奏
要滑到可以留言要滑好久

03-19 18:39

一騎
這種時候手機版反而比較好用XD03-19 19:11
bbc
記得有看過拉海爾自嘆不如貞德力氣的說法
充滿怪力的高貴美聖女wwwww

03-19 19:36

一騎
雖然說農家女生有力氣很正常,
不過贏得過從年輕時就在和英格蘭拼命的拉海爾喔,感覺比較像是拉海爾自謙欸WWW03-19 21:21
藍染坊
莫名其妙出現了腦補:

貞德其實非常的悶騷,內心十分渴望男體,正好時逢戰爭,打著算盤混入男人群中,結果創造了不少奇蹟而被眾人敬仰,所以周圍的男人們都沒有性欲
>貞德很失望

每次對陣都一馬當先,以為自己很快就會被敵軍俘虜然後被做出嘿嘿嘿的事情,但並沒有
>貞德非常失望

終於被敵軍俘虜,一邊壓抑內心的慾望,一邊裝出貞潔的高傲之花,期待激發敵軍的獸性,結果敵軍懾於貞德莊嚴的氣勢,沒有人敢出手
>貞德超級失望

最後在身上燃燒的,不是處刑的柴火而是哀怨的慾火,貞德,以處女之身,卒。


我覺得我要遭天譴了

03-19 22:04

一騎
當成漫畫劇情還滿可以的啊WWW03-19 22:27
巡音廚─双木朝臣
古代村姑一定長她媽又髒又醜

03-22 00:26

jim070111
所以變alter就會瘋狂引起性慾?

04-02 14:58

水想
法兵A:我剛剛看到聖女大人的ㄋㄟㄋㄟ了...可是我完全興奮不起來...怎麼辦...我是不是病了
法兵B:什麼?你也是嗎?我還以為只有我這樣!
法兵C:明明很漂亮,可是完全沒有反應,大概過了三分鐘才會開始覺得好像哪裡怪怪的,但是依然沒有反應

04-06 15:29

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