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冷めた世代と“魔法の箱”(庵野秀明、上野俊哉)

作者:Ambivalenz│新世紀福音戰士│2010-05-08 00:48:24│贊助:0│人氣:4298
《Newtype》1996年11月號


 
上野俊哉:
思うに、われわれの世代にとっては、『ウルトラマン』や『仮面ライダー』って、あまりにも大きいんです。車が好きとか、機械が好きとか、あるいはSF一般が好きという人は圧倒的に擦り込みを受けているという感じがする。マシン、怪獣、変なカッコしたものが出てきて、町が壊されていくという原風景の圧倒的な擦り込みというのがまずあって、『エヴァンゲリオン』も僕はそっちに近い感じがしてるんです

庵野秀明:
そうですね。僕らの世代('60年代前半生まれ)の共通体験はテレビかマンガしかないと思うんですよ。それはしょうがないと思います。僕らより前には、全共闘や、お上に逆らってひどい目に遭って、4畳半に引っ込んでフォークを歌う世代というのがありましたよね。その前の世代には、圧倒的な共通体験として戦争と戦後があると思うんですよ。あの何もない焼け野原から、日本を復興させるんだという。そういうパワーって、スゴイですよね。だけど、僕らには“魔法の箱”の中にしか語るものがない。情けないんですけど、仕方ない。そこを認めたところから、スタートだと思うんですよ

冷えきった世代

―戦争や学生運動の時代が終わった日本には、高度成長期と言いながらも、文化的にはぽっかりと穴が空いたような空虚な時代が訪れた。そこで彼らは、テレビという“魔法の箱”を初めて与えられるが、そこには、先人たちが体験したようなリアリティーはない。「そんなことはわかっているよ」と冷めた目で見ながらも、彼らは“魔法の箱”に何か目に見えない力を感じていた。

上野俊哉:
『ウルトラマン』を見ているときも、初めから僕らは着ぐるみだと知っているわけですね。だけど、仮面ライダーにしても、ウルトラマンにしても、ジッパーが見えていようが全然カッコ悪くないと思える、ある感性があると思うんです。怪獣もいるかもしれないという、ある信頼や信仰があると同時に、一方では、ものすごい冷めた、あれはしょせん“物”なんだ、着ているんだという感じがあって。装着することのカッコよさへの美学もインプリンティングされていると思うんですが

庵野秀明:
ええ。ある程度、冷めたところもあるんですね。ニュースは本物。マンガやドラマはニセ物というかウソのつくり物という先入観があって。最も(※正しくは「尤も」)ニュースも真実とは限らないですがね。ただ浅間山荘や安田講堂のリアルタイム映像の臨場感とか、お茶の間で味わえたんですよね。所詮はバーチャルな物なんだけど、やっぱりテレビってスゴいと思った。子供の楽しみというか娯楽がテレビやマンガにしかなくなっていたとき、それを最大限に楽しもうとしてたんだと思います。テレビの中、番組そのものを遊び場にして。だからチャック等は見えないものとしたり、何かと理由を探して、整合性をもたせたり。少年雑誌のフォローとかもあったけど、昔は頭の中で番組の足りない部分を想像したりして、補完してたんですね、自分たちなりに

箱の中に見た“裏切りの体験”

上野俊哉:
かつて、戦中派、もしくはわれわれの両親たち昭和ひと桁世代は、昨日まで軍国主義だったのに、きょうから突然、戦後民主主義になったりという“裏切り”の実体験をしている。昨日まで“行け行け”と言っていた先生や軍人が、コロッと変わっちゃって自由平等を唱えるというのは、ものすごいフィクション体験というか、まゆにツバつけるような体験なんですよね。だけど僕らの世代は、(その当時を)あらかじめテレビや映画の中で、初めから物語として見ているわけで、全然リアリティーがない。だから、本当に裏切られたという体験をしたことがないんじゃないかという気もするんですが

庵野秀明:
ですから“箱の中”での裏切りなんです。僕らは、それを静かに見ているということしかやってない。あとは、先生の話や親の話で聞いているんですね、実体験を。51年前の8月15日を境に、日本全体の価値とか、体系がゴロッと変わったわけじゃないですか。外敵と戦って、初めて日本は戦争に負けたんです。2000年以上の歴史の中で、初めてですよね、日本がなくなったのは。だけど、その初めての経験でも、日本は耐えたわけですよね、滅びずに。日本という国は運がいいとは思うんですけど、それだけじゃなくて、お上が変わればそれにコロッとついていくという、日本人の性質もあると思いますね。僕らは、それらの話をじかに聞いているから、戦後の価値観の変化というのが、知識として擦り込まれてますね。僕らにとってこのことは大きかったと思うんですよ。やはり確かなものなんかどこにもないんだという確信を得ましたからね

テレビ黎明期と現在の状況

―共通体験はテレビしかないという彼らの世代は、60~70年代のテレビドラマが人格形成のうえで重要な位置を占めているという。そして、テレビを見つづけて育った彼らは、当時の番組のていねいなつくりに比べ、現在の番組には違和感を抱く。

上野俊哉:
『ウルトラQ』や『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』では、脚本家が沖縄出身だったり、物語にある微妙な影が落ちているとか、星新一が企画のメンバーにいたりして、非常にシリアスだったというのが一般的に言われていますよね。それはもちろん事実なんだけれど、ただ、公害やオイルショック、ドルショック、ベトナム戦争、あるいは日本の中のいろんな学生運動の失敗、そういう背景に流れる社会の動きを見るには、僕らはあまりにも幼かった。だけど、『アイアンキング』や『シルバー仮面』とか、(『ウルトラマン』以後の)特撮の中には、また別のシリアスが入っている。今度は、オイルショックも知っているし、もういろんな社会的な事件を知ったうえで、これらの作品を見ているわけです。『アイアンキング』には、不知火一族っていう大和朝廷に恨みを抱くグループが出てきたり、独立幻野党っていう過激派みたいなやつが出てきたりと、それはそれで時代を反映していて、昔の『ウルトラマン』や『セブン』のもっているシリアスさとは違う、かなり具体的なものに触れている面もある。『レインボーマン』に至っては、日本人だけを殺す“死ね死ね団”なんてのが出てくる。これらは、『ウルトラマン』や『セブン』とは区別できますね

庵野秀明:
体系的に考えれば、'60年代頭のころの作品は未来を語っていますよね。この時期は日本全体がイケイケムードだったから、未来に明るいものを感じている。『ウルトラマン』も1993年の話なんです。ジャミラと同い年なんですよ。僕(笑)『セブン』も'80年代後半という設定でしたね。その2作品は、まだ未来を語っていた。それから、日本全体のイケイケ&ゴーゴーが行き詰まって、ガタンと落ちたときから、現実を語りはじめましたね。それが等身大ヒーローになったとも思うんですよ。“ウルトラシリーズ”も『帰ってきたウルトラマン』になると人間ドラマになってますしね。ウルトラマンが出てこなくても、成り立つ番組になっている。『セブン』でも、ちょっとそういう話がありましたけど。脚本の金城哲夫さんの中にあったと思うんですよ。未来に対する憧れみたいなものを、疑問をもちつつも信じようとしている部分が。金城さんは、本当は信じていないんじゃなかったのかと思うんですよ。信じようとしていただけだと。そこが、またスゴイんですけど。絶望を知ってて、あえて絶望を語らない強さが

上野俊哉:
金城さんはある意味で、戦中派的なリアリティーを知らなければならない土地(戦場となった沖縄)に育って、東京に出てきているわけですからね。ちょっと異例なポジションにいる人ですよね

庵野秀明:
そういう人が、地球での異端であるモロボシ・ダンという人物を描けるんだと思います。やっぱり、そういう現体験をしている人じゃないと描けないと思います。その辺の心情というのは、本を読んでわかるというもんじゃないですから

上野俊哉:
実際、周りに活動家なんかがいたという『アイアンキング』の脚本家(佐々木守氏)も、ダメだと知りつつ、ムダだと思いつつ、でも若干のシンパシーを感じて、独立幻野党や不知火族とかを書いていたと思うんです。やはり、よかれあしかれ、体験を引きずっている

庵野秀明:
目的が現政府転覆ですからね。作品の中に、過激派などの雰囲気というのがそのまま出ている。それは、悪にせざるを得ないんですけど。まあ、いろいろ考えても、良質なんですよ、当時の作品は。つくっている人がすごくまじめにやっていたと思います

上野俊哉:
今は違いますか

庵野秀明:
まるで。子供番組だからといってナメているのが多い。子供番組だからこそ、キチンとやらなければいけないと思うのに。レベルというか、スタンスが違うんですよね

上野俊哉:
いろんなレベルがありますから。月とスッポンがあるというか…

庵野秀明:
そうなんですが、昔はいいものは断トツによかったんですよ。そのよいフィルムの数も多かった。特撮も途中から粗製乱造になって、ブームになってから、数々のひどいものがドバッとできましたけど

上野俊哉:
僕としては『サンバルカン(太陽戦隊)』ぐらいまではよかったと思ってるんだけど

庵野秀明:
僕もバイオマン(超電子)の途中から1度見なくなったんでジェットマン。(鳥人戦隊)あたりからまた復帰して。今のカーレンジャー(激走戦隊)は極めてグーですね。RVロボの合体シーンなどはナイスでした

キャラクターは庵野監督そのもの

―「エヴァ」の魅力のひとつとして、強烈な個性をもつキャラクターがある。自分や周りの誰かに似ているようだけれど、実はどこにもいない。そんな彼らをもっと知りたいと思うことが、「エヴァ」にひきつけられていることでもあると思う。よく言われていることだが、キャラクターそれぞれには、庵野監督自身の一部が投影されているという。 

庵野秀明:
とくにシンジ、ミサト、アスカには、自分に近いものを感じますね。で、シャドーとしてカヲル君。レイは僕の一番コアな、深層の部分でつくってます。できるだけ自分は無干渉にして、にじみ出るところだけで形にしていますね

上野俊哉:
僕はレイってすごい好きなんです。たとえば『Zガンダム』のフォウって、本当にいてほしいんですよ。本当に会いたい。でも、レイってそうじゃないんですよね。これは二次コン(二次元コンプレックス)ではなく、レイっていうのは、自分の前にはいない、完結している存在だと思う。同じ人工的につくられたものであっても。

庵野秀明:
まあ、気が狂ってますけどね(笑)。レイはそうしたかったんですよ。難しかったんですけどね。それが描けるのはそういう人だけですから。これは僕が気狂うしかない

上野俊哉:
精神分析とか人格セミナーがどうのこうのとかって言われてますけど、ああいうサイコロジー一般に対する興味というのは、昔から強かったんですか?

庵野秀明:
まるでなかったです

上野俊哉:
『エヴァ』をやってて、そういうのに向かっていったっていう感じですか?

庵野秀明:
そうです。自然にそっちに。以前は精神分析の本て、全然読まなかったんです。大学の一般教養ので少し触れた程度ですね。その中では一番面白かったです

上野俊哉:
じゃ、何となくキーワードというか、興味みたいなものが心の中に引っかかっていたんですね

庵野秀明:
ええ。僕、人間にあまり興味がなかったんでしょうね。それが、自分の話をはじめたときに、途中で伝える言葉が欲しくなったんですよ。それで、いちばん使いやすいと考えたのが、世間一般で使われている心理学用語ということばだった。そして、本をあさりはじめたんです。それまで、心理学に興味をもつなんて思わなかったッス

自分と自分との会話

庵野秀明:
16話が最初なんですよ。ストレートに自己の内面世界に突入してしまったのは。以前から線画によることばの表現というのもやってみたかったし。あのシーンのダイアローグは比較的にまだ楽だったんですよ。自分のことをそのまま台詞にすればよかったんです。しかしその後、総集編のレイのモノローグで詰まったんです。あ、制作は16話のほうが先に入ってたんですよ。総集編は後からつくっても間に合いますから。で、どうもイメージわかないときに、友人が『別冊宝島』の精神病の本というのを貸してくれて。その中のポエム群ですね、ショックを受けたのは。脳天直撃でした。そこでスイッチが入れ替わったんでしょうね。レイのモノローグが堰を切ったように浮かんで来ましたから。その本のポエムとはまるでちがうものなんですが。その友人のお陰ですね、ワンステップ進めたのは。ありがたいです。やはりフィルムは一人じゃつくれないですね。スタッフやキャストといっしょにおもしろくしていくものだと実感しました。僕一人じゃ何もできません」

おたく以外の人々にはあたり前の最終回!?

―アニメおたくの間だけでなく、さまざまなところで議論を巻き起こしている最終2話。あの2話には、当たり前のことだが、庵野監督が意図する知られざる大きな意味があると言う。果たしてそれは? そして、完成が待たれる映画版では、(庵野監督を含めて)万人が納得する最終回となりうるのだろうか。

上野俊哉:
僕は、あれ(最終2話)は裏切りではなく、一種のスタンダードな終わり方だと思っている。実際、あの結末は、実験映画を見ている人や美術を鑑賞している人たち、ふだんアニメを見ない人は、スッとわかるんですよ。だけど、ずっとアニメを見てきた人は、最後にあれが来ちゃうと、裏切られた感覚がするのかもしれない

庵野秀明:
最近、ふだんアニメを見ない人たちと話す機会が増えたんですが、彼らは冷静におもしろかったと言ってます。25話などはとくに女性に評判がいいですね。でも、それは怒ると思うんですよ、大半のアニメファンの人たちは。怒る理由もわかります。ただ手抜きだという意見などには残念ですが、失笑してしまいますね。手を入れ過ぎたスタッフはいても、手を抜いた人は一人もいません。1話から見ていてそれを感じ取れない人たちには悲哀を感じます。こういうことをいうとまた怒られるんですが、その人たちには。そう『言われているだけマシなんだ』ということまで、こうして口に出さなきゃわからない。これはつらいですね、正直に。実はきれいに終わっているんですよ、テレビ版って。内的にも外的にも見事に収まるところに収まっています。今はもうひとつの別の収まり方に向かって、作業しているだけですね。あと、TV版のラストをあの形にした、一番コアというか、本音の部分は誰にも言ってないんですよ。別に今までの発言ウソだということじゃないです。他の監督さんもそうだと思います。普通、一番の理由は他人には言わないですよね、それは大事なモノですから。あと、万人が納得するような代物なんてないですよ。同じ人間は一人としていませんから。望むものは人の数ほどありますよ

「エヴァ」に“答え”は与えられるのか?

上野俊哉:
多くのファンは、映画版で一応の完結を期待しているわけだけど、僕は、初めから何か明確な回答が得られるとは思ってないし、(パソコン通信の)フォーラムなどで期待されているような何かが展開されるとも思ってないんです。ずばり、映画版では、使徒及びEVAをめぐる、あるいは“人類補完計画”をめぐるナゾに暫定的な答えを出すということはあり得るんですか?

庵野秀明:
一応

上野俊哉:
あくまで“一応”ですか

庵野秀明:
“一応”です。全部明かす必要はないんですよ。むしろそのほうがつまらないと思います。『エヴァ』はジグソーパズルのようなつくりになっています。バラバラのピースをお客に見せてるんですね。組み立ては受け手にまかせてあるんですよね。ただ完成写真がないので皆違う完成図を想像している。見当たらないパーツがあれば、それは自分の力で埋めてくださいとしているだけです。だからお客の想像の余地を残しています。ジグソーの組み立て作業も楽しいですが、でき上がりを想像する作業はより楽しいものだと思います。ただマニュアルがないと生きていけない人たちには、つらいかも知れないですね
引用網址:https://home.gamer.com.tw/TrackBack.php?sn=863335
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