創作內容

3 GP

第70個「長崎原爆之日」

作者:迫水未來│2015-08-09 23:43:04│巴幣:6│人氣:569
私はこの70年の間に倒れた多くの仲間の遺志を引き継ぎ、戦争のない、核兵器のない世界の実現のため、生きている限り、戦争と原爆被害の生き証人の一人として、その実相を世界中に語り続けることを、平和を願うすべての皆さんの前で心から誓います。

我會繼承在這七十年中倒下的許多同伴們的遺志,為了實現沒有戰爭.沒有核兵器的世界,在我的有生之年,要作為戰爭與原爆被害的證人之一員,繼續在全世界述說將戰爭與原爆被害的真實樣貌,我在此於希冀和平的各位面前從心底發誓。

--谷口稜曄(被爆者)



長崎和平宣言發表之後,鴿子飛向天空,長崎市和平公園,2015年8月9日(每日新聞



1945年8月9日早上2點47分,裝載著鈽239原子彈「小胖子」的B-29轟炸機「博克斯卡號」從位於南太平洋的天寧島北機場起飛,經過屋久島後於早上9點44分抵達小倉上空。

小倉附近靄霧密布,除了日前美軍的八幡空襲所產生的煙之外,也有當地為了防止核彈空襲燃燒煤焦油產生的濃煙。博克斯卡號在空中盤旋三次後,由於無法目視目標而轉為次要目標,長崎。

長崎上空也被雲層覆蓋,然而,就在燃料即將耗盡接近不得不返航時,雲層散去一角,目視僅可見一部分的街道。

上午11點02分,從高度9600公尺的上空,第二枚原子彈被投下了。

瞬間,約7萬5千人的性命一瞬間被奪走。


原子彈投下十五分鐘後在香燒島所拍攝到的蕈狀雲。



化為廢墟的長崎.浦上一帶,照片上方的建築物即「浦上天主堂」,畫面中還可見人骨,富重安雄攝影(朝日新聞


迎來被爆後第七十個早晨的長崎市,朝陽在和平祈念像上幅掛,2015年8月9日早上5點06分(朝日新聞



七十年後的今天,2015年8月9日,是第70年的「長崎原爆之日」。加上在這一年間去世的3373人,長崎原爆死歿者名冊所記載的逝去者來到了16萬8767人。


今天在長崎市的和平公園也舉行了今年的長崎原爆和平紀念儀式,追弔犧牲者以及再一次誓言要創造沒有核兵器與戰爭的世界。包含美國Rose Gottemoeller國務次卿(軍備管理.國際安全保障擔當,也是美國高官初次出席)等歷年來最多的76國代表,共有約6800人出席。我也在早上九點半(台灣時間)開起電視轉向NHK WORLD開始收看直播。

去年的長崎和平宣言比廣島和平宣言還要好,今年也是。今年的長崎和平宣言比起廣島和平宣言更加深刻,所關注的範圍也更廣。而不論是由長崎市長田上富久的和平宣言「不戰的理念,永遠不能改變」還是今年被爆者代表谷口稜曄先生(長崎原爆被害者協議會會長)的演說「和平的誓言」都觸及了目前正在參議院審議、即使違憲民意也大幅反對安倍政權仍然強推的安保法案,在田上市長的演說中呼籲中央政府與國會應該更加慎重地審議該法案,而谷口先生的演說更直接批判安保法案是「想要回歸戰時中的時代」、「從根柢顛覆被爆者等許多希冀和平的人們所累積的核兵器廢絕運動與想法」。兩位在說到有關於安保法案的部份時,也傳來了與會者們的掌聲,而NHK的鏡頭則帶到眼睛轉來轉去的安倍晉三那。



宣言「和平的誓言」的谷口稜曄先生(朝日新聞


希冀和平,在「核彈落下中心地碑」圍繞的高中生們(朝日新聞



安倍的演說則繼續暢談他的「繼續推進世界核軍縮」,雖然如同我在廣島那篇文章所說的,我不太相信他到底有多想推動廢除核武。另外不知道是不是被批評的關係,安倍在長崎的演說中把非核三原則加了回去。可是,比起懇切的田上市長或是聲音發自內心、話語帶有直擊人心力量的谷口先生的演說,安倍在演說時全程頭低低快速唸完,感覺只想交差了事。在安倍說道NPT的部分時鏡頭也有帶到一位參加核廢絕市民運動、今年NPT再檢討會招開時也有去紐約的與會者,總之安倍在說話時大家的臉色都不太好看。

在談到今年的長崎和平宣言與被暴者代表演說之前,來談一下NHK鏡頭所帶到、同時在和平公園之外的景物吧。

有撐過核爆後再次矗立的大樹,也有保留了當初在核爆中被炸倒一半只剩一隻柱子支撐之鳥居的山玉神社。還有長崎西高中

長崎西高中每年的8月9日都會舉行和平學習會。長崎西高的前身是舊制縣立瓊浦中學,在長崎核爆時學校化為廢墟,包含當時在學校的教職員、作為學徒報國隊出勤的二、三年級生等,學生與教職員們計有405人在核爆中喪命。經歷戰後改制為長崎瓊浦高中等統合、分割後,成為現在的長崎東高中與長崎西高中的前身之一,而長崎西高便是建立在舊瓊浦中學的校地之上。長崎西高每年的和平學習會都會邀請舊瓊浦中學的被爆者校友分享戰爭與核爆經驗,並舉行慰靈會。

另外,在和平公園的典禮中表演的各合唱團體的演唱也很棒。除了在今年5月在紐約公演的被爆者組成的合唱團「向日葵(ひまわり)」藉由歌聲傳達發自內心的「不要再有Hiroshima、Nagasaki、被爆者」的願望之外,也是每年定番的純心女子高中一年級生與二年級生的「千羽鶴」也很動聽(在長崎原爆中純心女高也有214人犧牲),另外城山小學的學生們也有演出。



※插圖片

※和平宣言與被爆者代表演說的全文引用與解說、感想,並與安倍以及聯合國事務次長的演說做比較

※其他メモ和日文心得上的東西



不戦の理念、永久に変えてはならない 長崎平和宣言全文

昭和20年8月9日午前11時2分、一発の原子爆弾により、長崎の街は一瞬で廃墟(はいきょ)と化しました。

大量の放射線が人々の体をつらぬき、想像を絶する熱線と爆風が街を襲いました。24万人の市民のうち、7万4千人が亡くなり、7万5千人が傷つきました。70年は草木も生えない、といわれた廃墟の浦上の丘は今、こうして緑に囲まれています。しかし、放射線に体を蝕(むしば)まれ、後障害に苦しみ続けている被爆者は、あの日のことを1日たりとも忘れることはできません。

 原子爆弾は戦争の中で生まれました。そして、戦争の中で使われました。

 原子爆弾の凄(すさ)まじい破壊力を身をもって知った被爆者は、核兵器は存在してはならない、そして二度と戦争をしてはならないと深く、強く、心に刻みました。日本国憲法における平和の理念は、こうした辛(つら)く厳しい経験と戦争の反省の中から生まれ、戦後、我が国は平和国家としての道を歩んできました。長崎にとっても、日本にとっても、戦争をしないという平和の理念は永久に変えてはならない原点です。

 今、戦後に生まれた世代が国民の多くを占めるようになり、戦争の記憶が私たちの社会から急速に失われつつあります。長崎や広島の被爆体験だけでなく、東京をはじめ多くの街を破壊した空襲、沖縄戦、そしてアジアの多くの人々を苦しめた悲惨な戦争の記憶を忘れてはなりません。

 70年を経た今、私たちに必要なことは、その記憶を語り継いでいくことです。

 原爆や戦争を体験した日本、そして世界の皆さん、記憶を風化させないためにも、その経験を語ってください。

 若い世代の皆さん、過去の話だと切り捨てずに、未来のあなたの身に起こるかもしれない話だからこそ伝えようとする、平和への思いをしっかりと受け止めてください。「私だったらどうするだろう」と想像してみてください。そして、「平和のために、私にできることは何だろう」と考えてみてください。若い世代の皆さんは、国境を越えて新しい関係を築いていく力を持っています。

 世界の皆さん、戦争と核兵器のない世界を実現するための最も大きな力は私たち一人ひとりの中にあります。戦争の話に耳を傾け、核兵器廃絶の署名に賛同し、原爆展に足を運ぶといった一人ひとりの活動も、集まれば大きな力になります。長崎では、被爆二世、三世をはじめ、次の世代が思いを受け継ぎ、動き始めています。

 私たち一人ひとりの力こそが、戦争と核兵器のない世界を実現する最大の力です。市民社会の力は、政府を動かし、世界を動かす力なのです。

 今年5月、核不拡散条約(NPT)再検討会議は、最終文書を採択できないまま閉幕しました。しかし、最終文書案には、核兵器を禁止しようとする国々の努力により、核軍縮について一歩踏み込んだ内容も盛り込むことができました。

 NPT加盟国の首脳に訴えます。

 今回の再検討会議を決して無駄にしないでください。国連総会などあらゆる機会に、核兵器禁止条約など法的枠組みを議論する努力を続けてください。

 また、会議では被爆地訪問の重要性が、多くの国々に共有されました。

 改めて、長崎から呼びかけます。

 オバマ大統領、核保有国をはじめ各国首脳の皆さん、世界中の皆さん、70年前、原子雲の下で何があったのか、長崎や広島を訪れて確かめてください。被爆者が、単なる被害者としてではなく、“人類の一員”として、今も懸命に伝えようとしていることを感じとってください。

 日本政府に訴えます。

 国の安全保障は、核抑止力に頼らない方法を検討してください。アメリカ、日本、韓国、中国など多くの国の研究者が提案しているように、北東アジア非核兵器地帯の設立によって、それは可能です。未来を見据え、“核の傘”から“非核の傘”への転換について、ぜひ検討してください。

 この夏、長崎では世界の122の国や地域の子どもたちが、平和について考え、話し合う、「世界こども平和会議」を開きました。

 11月には、長崎で初めての「パグウォッシュ会議世界大会」が開かれます。核兵器の恐ろしさを知ったアインシュタインの訴えから始まったこの会議には、世界の科学者が集まり、核兵器の問題を語り合い、平和のメッセージを長崎から世界に発信します。

 「ピース・フロム・ナガサキ」。平和は長崎から。私たちはこの言葉を大切に守りながら、平和の種を蒔(ま)き続けます。

 また、東日本大震災から4年が過ぎても、原発事故の影響で苦しんでいる福島の皆さんを、長崎はこれからも応援し続けます。

 現在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯(しんし)な審議を行うことを求めます。

 被爆者の平均年齢は今年80歳を超えました。日本政府には、国の責任において、被爆者の実態に即した援護の充実と被爆体験者が生きているうちの被爆地域拡大を強く要望します。

 原子爆弾により亡くなられた方々に追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は広島とともに、核兵器のない世界と平和の実現に向けて、全力を尽くし続けることを、ここに宣言します。

 2015年(平成27年)8月9日 長崎市長 田上富久




原爆被害の生き証人として語り続ける 平和への誓い全文

70年前のこの日、この上空に投下されたアメリカの原爆によって、一瞬にして7万余の人々が殺されました。真っ黒く焼け焦げた死体。倒壊した建物の下から助けを求める声。肉はちぎれ、ぶらさがり、腸が露出している人。かぼちゃのように膨れあがった顔。眼(め)が飛び出している人。水を求め浦上川で命絶えた人々の群れ。この浦上の地は、一晩中火の海でした。地獄でした。

地獄はその後も続きました。火傷(やけど)や怪我(けが)もなかった人々が、肉親を捜して爆心地をさまよった人々が、救援・救護に駆け付けた人々が、突然体中に紫斑が出、血を吐きながら、死んでいきました。

 70年前のこの日、私は16才。郵便配達をしていました。爆心地から1・8キロの住吉町を自転車で走っていた時でした。突然、背後から虹のような光が目に映り、強烈な爆風で吹き飛ばされ道路に叩(たた)きつけられました。

 しばらくして起き上がってみると、私の左手は肩から手の先までボロ布を下げたように、皮膚が垂れ下がっていました。背中に手を当てると着ていた物は何もなくヌルヌルと焼けただれた皮膚がべっとり付いてきました。不思議なことに、傷からは一滴の血も出ず、痛みも全く感じませんでした。

 それから2晩山の中で過ごし、3日目の朝やっと救助されました。3年7か月の病院生活、その内の1年9か月は背中一面大火傷のため、うつ伏せのままで死の淵(ふち)をさまよいました。

 そのため私の胸は床擦れで骨まで腐りました。今でも胸は深くえぐり取ったようになり、肋骨(ろっこつ)の間から心臓の動いているのが見えます。肺活量は人の半分近くだと言われています。

 かろうじて生き残った者も、暮らしと健康を破壊され、病気との闘い、国の援護のないまま、12年間放置されました。アメリカのビキニ水爆実験の被害によって高まった原水爆禁止運動によって励まされた私たち被爆者は、1956年に被爆者の組織を立ち上げることができたのです。あの日、死体の山に入らなかった私は、被爆者の運動の中で生きてくることができました。

 戦後日本は再び戦争はしない、武器は持たないと、世界に公約した「憲法」が制定されました。しかし、今集団的自衛権の行使容認を押しつけ、憲法改正を押し進め、戦時中の時代に逆戻りしようとしています。今政府が進めようとしている戦争につながる安保法案は、被爆者を始め平和を願う多くの人々が積み上げてきた核兵器廃絶の運動、思いを根底から覆そうとするもので、許すことはできません。

 核兵器は残虐で人道に反する兵器です。廃絶すべきだということが、世界の圧倒的な声になっています。

 私はこの70年の間に倒れた多くの仲間の遺志を引き継ぎ、戦争のない、核兵器のない世界の実現のため、生きている限り、戦争と原爆被害の生き証人の一人として、その実相を世界中に語り続けることを、平和を願うすべての皆さんの前で心から誓います。

平成27年8月9日

被爆者代表 谷口稜曄(すみてる)





(未完成)


-相關連接-
長崎市長「安保法案、慎重審議を」 平和祈念式典:朝日新聞デジタル
長崎原爆の日:平和祈念式典で市長 国会に「慎重審議を」 - 毎日新聞
長崎原爆の日:安保、真摯な議論を…「平和理念揺らぐ」 - 毎日新聞
長崎原爆の日:核廃絶の願い発信へ 9日、平和祈念式典 - 毎日新聞
原爆被害の生き証人として語り続ける 平和への誓い全文:朝日新聞デジタル
被爆した長崎の真実、後世に 惨状撮影のカメラマン:朝日新聞デジタル
【戦後70年】長崎原爆、ソ連参戦 1945年8月9日はこんな日だった
長崎原爆70年 | 廣見恵子
「ピカドンの毒が移る」と言われ、浴場で泣いた。被爆70年の増野幸子さん
【長崎平和宣言】安保法案に市長が言及「平和の理念が、今揺らいでいるのでは」(全文)
70回目の「原爆の日」 長崎の1日を追いました。(FNN)
長崎原爆の日:「歌の語り部」最年長は90歳 国内外公演 - 毎日新聞
医学生が見た長崎の地獄 無力さと、命の真実と:朝日新聞デジタル
七夕コンサート:作曲家の吉岡しげ美さん、平和願い 純心女子の卒業生ら合唱参加 都内できょう /神奈川 - 毎日新聞
「白旗の少女、生き延びたのが罪なんて」有村架純さん:朝日新聞デジタル





看更多投稿作品
引用網址:https://home.gamer.com.tw/TrackBack.php?sn=2924749
All rights reserved. 版權所有,保留一切權利

相關創作

同標籤作品搜尋:許願詩箋|自由|人權|和平|戰爭|日本|日本國憲法|長崎|原爆|安保法案

留言共 0 篇留言

此作品限屋主留言!

前一篇:長崎平和祈念式典の中継を... 後一篇:《假面騎士Drive》&...

追蹤私訊切換新版閱覽

作品資料夾

d88931122所有巴友
歡迎諸君來參觀老僧小屋,內含Steam與Google Play遊戲、Line貼圖、3D角色模組看更多我要大聲說昨天18:12


face基於日前微軟官方表示 Internet Explorer 不再支援新的網路標準,可能無法使用新的應用程式來呈現網站內容,在瀏覽器支援度及網站安全性的雙重考量下,為了讓巴友們有更好的使用體驗,巴哈姆特即將於 2019年9月2日 停止支援 Internet Explorer 瀏覽器的頁面呈現和功能。
屆時建議您使用下述瀏覽器來瀏覽巴哈姆特:
。Google Chrome(推薦)
。Mozilla Firefox
。Microsoft Edge(Windows10以上的作業系統版本才可使用)

face我們了解您不想看到廣告的心情⋯ 若您願意支持巴哈姆特永續經營,請將 gamer.com.tw 加入廣告阻擋工具的白名單中,謝謝 !【教學】