唐朝廷封哥舒翰為兵馬副元帥,他不輕易出戰,而是採取嚴守關門的戰術。安祿山軍隊多次進攻,都無法突破此地。
最終戰事陷入僵局,時間流逝到次年(天寶十五載,西元七五六年)正月。
安祿山不耐煩了,決定採取他留作後手的策略。
在洛陽稱帝。
他凝視著鄰近的長安,宣稱自己才是取代唐朝的新皇帝。
國號定為大燕。
這是因為其根據地范陽在古時曾被稱作燕。
「已經無法回頭了。但是殿下……不,陛下真的能夠推翻唐朝嗎?」
雷梧在兵舍的房間裡喃喃自語。
雖然威風凜凜地稱帝了,但從去年年末開始,各地唐軍的抵抗越發強烈。顏真卿、郭子儀等名將已開始收復之前被佔領的地區。
然而,洛陽擁有儲存大量糧食的糧倉地帶,安祿山倚仗這些糧食,在等待攻下潼關的時機。
即便如此,戰況依然膠著,半年時間就這樣過去了。
六月七日。
雷梧率領部隊策馬緩行,朝著潼關進發。
「不過雷將軍,唐軍真是弱啊。他們的手臂比我們的孩子還要細呢。」
蓄著鬍鬚的第一部隊長縻刻說道,雷梧也笑著點頭。
「確實如此。那些傢伙連武器都使不好。攻下潼關只是時間問題吧。」
雷梧與縻刻閒聊著。後方有士兵擅自把旗幟放倒休息,但雷梧並不去理會。
崔乾祐這個上司正擔任攻打潼關的總督。
近來雷梧在他手下擔任斥候兼策略官。他總是偵察到關門附近,故意表現得懶散,裝作毫無鬥志的軍隊離開。
(日文原文)
唐の朝廷から兵馬副元帥に任ぜられたこの哥舒翰は、徒に戦おうとせず、関門を堅く閉ざす戦法を採った。安禄山軍は何度挑んでも、ここを突破できない。
結局、膠着したまま日は流れ、翌年(天宝十五載、西暦七五六年)の正月。
安禄山は業を煮やし、取って置きの手段に踏み切った。
洛陽の地で、帝位に就いたのである。
隣の長安をにらみながら、我こそは唐に替わる新たな皇帝である、と宣言した。
国号は、大燕とした。
本拠地の范陽が、古くは燕という地名なのにちなんでいる。
「もう後へは戻れなくなった。しかし殿は……いや陛下は、本当に唐を倒せるだろうか?」
雷梧は、兵舎の部屋でつぶやいた。
景気よく皇帝を名乗りはしたが、昨年末あたりから各地で唐軍の抵抗が強くなっている。顔真卿、郭子儀などの名将によって、これまでの占領地が奪回され始めていた。
しかし、洛陽には大量の穀物を蓄えた穀倉地帯があり、安禄山はその食料を繋ぎにして、潼関を落とす機を窺っている。
それでも戦況は動かず、半年が過ぎた。
六月七日。
雷梧は部隊を率いて、潼関に向かって馬を歩かせていた。
「しかし雷将軍、唐の兵は弱いですね。うちの子供よりも腕が細いし」
ひげ面の第一部隊長・縻刻が言うと、雷梧も笑って頷いた。
「全くだね。あいつら、ろくに武器も使えない。潼関を落とすのなんて、時間の問題かな」
雷梧は、縻刻とだらだら無駄話をした。後ろには、旗を寝かせて勝手に休憩している兵士もいるが、雷梧は注意もしない。
崔乾祐という上司が、潼関攻めの総督をしている。
最近の雷梧は、彼の下で斥候を兼ねた計略の役目に就いていた。いつも関門のすぐそばまで探りに来るが、わざとだらしなく、やる気のない軍を演じて帰る。