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EX. 屠る - 吉川三國志之問題角色敘述與台版譯文比對

竜宮ユウ | 2016-08-11 18:53:58 | 巴幣 0 | 人氣 344

系列文章未完,等最後的時候再說明。
本系列文章目的重於對照與吐嘈,有興趣的人也可以自行再去比對。



《ほふ》
這篇的來由是因為下一篇的張郃。

本篇只取全書出現「ほふる」這個唸法的部分來對照。
可以參考一下各部分對「屠る」這詞的用法,並附上台版對應處的翻譯。




 《三国志》  桃園の巻 桑の家 九
 《三國英雄傳》桃園之卷 樓桑村之家 9 (P.91)


「おそらく、この子は、自分の誕生日も、祝われたことはあるまい。だが、今度は祝ってやんなさい。この瓶に酒を買い、この山羊を屠《ほふ》って、血は神壇に捧げ、肉は羹に煮て

「這孩子可能從未慶祝過自己的生日,但這次一定要好好慶祝。就用這個酒瓶去沽酒,並且宰了山羊,肉煮成羹,將羊血奉祀於神壇之上。

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 同巻 橋畔風談 三
 同卷 橋畔風談 3 (P.100)


「いや、話せば長いことになるが、いつかも打明け申した通り、どうかして黄巾賊に奪われた主家の県城を取返さんものと、民間にかくれては兵を興し、また、敗れては民間に隠れ、幾度も幾度も事を謀ったが、黄匪の勢力はさかんになるばかりで、近頃はもう矢も尽き刀も折れたという恰好です。……で先頃から、この涿県に流れてきて、山野の猪を狩って肉を屠《ほふ》り、それを市にひさいで露命をつないでおるような状態です。おわらい下さい。ここのところ、張飛も尾羽打枯らした態たらくなので」

「唉!說來話長,上回曾經對你提過,為了奪回主人被黃巾賊霸佔的縣城,我先是在民間興兵,失敗後便藏身於野,如此策動了好幾次,但黃匪的勢力卻愈來愈強大,我幾乎是到了箭盡刀折的地步。不久之前,我流浪到涿縣這一帶,平日在山林間獵豬屠宰,再把肉運到市集上販賣,以維持生活。請不要見笑,目前的張飛可說已是山窮水盡了。」

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 同巻 義盟 一
 同卷 義結金蘭 1 (P.138)


 壇の四方には、笹竹を建て、清縄をめぐらして金紙銀箋の華をつらね、土製の白馬を贄にして天を祭り、烏牛を屠《ほふ》ったことにして、地神を祠った。

 祭壇四方樹起竹竿,拉上繩子,掛滿金紙銀箋,同時以當地的白馬當做祭天的犧牲,又屠宰烏牛祭祀土地公。



 《三国志》  群星の巻 偽忠狼心 四
 《三國英雄傳》群星之卷 偽忠狼心 4 (P.15)


「では、お早く行っておいでなさい。家の者に、猪を屠《ほふ》って、料理しておくようにいっておきましたし、酒もすてきな美酒をさがして、手に入れてきましたからね」

「那麼就早去早回。我已經吩咐家人殺豬烹煮,同時,我還買到很好的酒哩!」

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 同巻 競う南風 五
 同卷 競爭南風 5 (P.32)


 吉日を卜して、曹操は、壇を築き、牛を斬り馬を屠《ほふ》って祭り
「われらここに起つ!」
 と、旗挙げの式を執り行った。

 曹操卜好吉日,建築祭壇,並且屠牛宰馬,以供祭祀。然後舉行誓師大典。
「誓討叛賊董卓!」

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 同巻 牛と「いなご」 四
 同卷 蝗蟲 4 (P.330)


「真の曹将軍は、貴様ごとき野猪の化け物と勝負はなさらない。覚悟しろ」
 斬りつけると、何曼は怒って、大剣をふりかぶって来た。
 この漢、なかなか勇猛で、曹洪も危うく見えたが、逃げると見せて、急に膝をつき後ろへ薙ぎつけて見事、胴斬りにしてようやく屠った

「真正的曹將軍,不屑與你這種像野豬一樣的傢伙動手,快準備受死吧!」
 說著就一刀砍過去。何曼大怒,立刻以鐵棒迎擊。
 此人極為慓悍,曹洪逐漸險象環生,於是佯裝敗逃,然後突然跪地抽刀往後掃去,漂亮地將對方攔腰砍成兩半。



 《三国志》  草莽の巻 好敵手 三
 《三國英雄傳》草莽之卷 旗鼓相當 3 (P.137)


「しまった!」
 孫策は、近づく敵の馬蹄のひびきに、一気に相手を屠《ほふ》ってしまおうと焦ったが、太史慈の手が、自分のきている盔をつかんだまま離さないので、
「む、むッ!」
 獅子の如く首を振った。
 そして、相手の肩越しに、太史慈が肩に懸けている短剣の柄を握って孫策も離さなかった。

「糟糕!」
 孫策聽到敵人的馬蹄聲接近時,焦急地想要一刀殺死對方。但由於太史慈的手一直抓住自己的頭盔不放,因此也只能像猛獅般猛力甩著頭,吼著:
「嗚!嗚!」
 同時他的手也繞過太史慈的肩膀,打算把對方背負身後的長劍抽出來。

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 同巻 平和主義者 一
 同卷 和平主義者 1 (P.182)


「よし、やろう」
 袁術は、即座にその説を取り上げた。
「やがて、小沛と徐州がおれの饗膳《きょうぜん》へ上るとすれば、安い代価だ」
 先に、劉備と戦った折、呂布へ与えると約束して与えなかった糧米、金銀、織布、名馬など、莫大なものが、ほどなく徐州へ向けて蜿蜒と輸送されて行った。
 呂布の歓心を求める為に。
 そして、劉備を孤立させ、その劉備を屠《ほふ》ってから、呂布を制する謀計であることはいうまでもない。

「好!就給他吧!」
 袁術當場採納他的意見。
「如果不久之後,小沛和徐州能夠成為我的領土,那麼這個代價就太便宜了。」
 從前和劉備交戰時,曾經答應給呂布的米糧、金銀、織布、名馬等東西,數量都很龐大,但不久就綿綿不絕地向徐州運去了。
 袁術此舉自然是為了獲得呂布的歡心,以便孤立劉備。亦即使出先殺劉備,再擒呂布的計謀。

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 同巻 梅酸・夏の陣 四
 同卷 望梅止渴 4 (P.304)


 彼は、馬を降りて、水辺の楊柳につなぎ、一基の石を河原の小高い土にすえて、牛を斬り、馬を屠《ほふ》った。そして典韋の魂魄をまねくの祀をいとなみ、その前に礼拝して、ついには声を放って哭いた。

 他下馬走到水邊,把繮繩繫在楊柳樹上,便在河灘旁的一座小丘堆石成壇,當場命令殺牛屠馬,祭拜典韋魂魄,然後忍不住又大哭起來。



 《三国志》  臣道の巻 煩悩攻防戦 二
 《三國英雄傳》臣道之卷 煩惱攻防戰 2 (P.8、P.9)


「それを掎角の計というか」
「そうです。将軍が城外へ出られれば、必ず曹操はその首勢を、将軍へ向けましょう。すると、それがしは直ぐ城内からその尾端を叩きます。また、曹操がお城のほうへ向かえば、将軍も転じて、彼の後方を脅かし、かくして、掎角の陣形に敵を挟み、彼を屠《ほふ》るの計であります
「ムム、なるほど、良計良計。孫子も裸足だろう」

「這便是犄角之計?」
「沒錯!將軍出城之後,曹操定會把主力轉向將軍,這時我即可趁他分心之際,直接從城內攻向其背;曹操若是朝向城這邊攻來,將軍立即回頭,威脅其後。當他發現前後受敵時已太遲了,我們聯手挾擊,必能取他腦袋。
「嗯,好!真是好計!相信連孫武再世都會佩服你的!」

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 同巻 兇門脱出 二
 同卷 逃出虎口 2 (P.128)


 それからは、易京楼の守りをたのみとし、警戒して出ないので、袁紹も攻めあぐねていた。
(易京楼を落すには、少なくも、城兵が三十万石の粮米を喰い尽すあいだだけの月日は、完全にかかるだろう)
 こういう風評だった。ところが、さすが袁紹の帷幕、よほど鬼謀の軍師がいるとみえ、地の底を掘って、日夜、坑道を掘りすすめ、とうとう城中に達して、放火、攪乱、殺戮の不意討ちをかけると共に、外からも攻めて、一挙に全城を屠《ほふ》ってしまった。

 從此以後,他和剩餘的軍隊便躲在城內,堅守不出,袁紹也無計可施。
 照這個情形看來,要攻下此城,恐怕要等到三十萬石糧米吃完為止。
 但是袁紹幕下的一名鬼才軍師對他獻計,不如改行他法,命士兵連日趕工,挖掘一條地道通往城內,攻它個出其不意。於是袁紹立即派人挖掘地道,進了城內便殺人放火,並且開城引入軍隊,進行屠城。



 《三国志》  孔明の巻 のら息子 三
 《三國英雄傳》孔明之卷 前路曲折 3 (P.46)


 ここの主は、郭常という人の良さそうな人物だった。羊を屠《ほふ》って焙り肉にしたり、酒を温めて、一同をなぐさめたりしてくれた。

 這家莊院主人名叫郭常,是一位仁慈的老人家。為了招待關羽等人,特別宰羊設酒,讓大夥兒吃個痛快。

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 同巻 兄弟再会 一
 同卷 兄弟重逢 1 (P.66、P.67)


 張飛は今さら面目なげに、感嘆してやまなかった。
 そして羊を屠《ほふ》り山菜を煮て、その夜も酒宴をひらいた。

 張飛不禁再度露出羞愧之色,喟嘆不已。
 一方面,則囑咐部屬殺豬屠羊,大設酒宴。

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 同巻 于吉仙人 五
 同卷 于吉仙人 5 (P.92)


 市街の広場に壇が築かれた。四方に柱を立て彩華をめぐらし、牛馬を屠《ほふ》って雨龍や天神を祭り、于吉は沐浴して壇に坐った。

 於是,大街的廣場立即大興土木,設起求雨祭壇,布置得光彩耀目,而且殺牛斬羊祭拜天神,于吉則沐浴更衣,登坐於祭壇之上。

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 同巻 泥魚 三
 同卷 泥魚 3 (P.168、P.169)


 一方の嶮路から、関羽の隊の旗が見えた。
 養子の関平や、部下周倉をしたがえ、三百余騎で馳せ降ってきた。
 猛然、張郃の勢を、うしろから粉砕し、趙子龍と協力して、とうとう敵将張郃を屠《ほふ》ってしまった。

 正鬱悶間,忽見關羽的旗幟,在山隘一端飄舞著。他帶領著義子關平、部下周倉,及三百餘騎,正翻山越嶺一路直奔而來。
 和趙子龍兩方夾攻下,殺退張郃,各出隘口,占住了山險下寨。

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 同巻 軍師の鞭 二
 同卷 指揮棒 2 (P.269)


 八門金鎖の陣もほとんど何の役にも立たなかった。ために、総崩れとなって陣形も何も失った時、
「今です」と、単福は玄徳に向って、総がかりの令をうながした。待ちかまえていた新野軍は、小勢ながら機をつかんだ。よく善戦敵の大兵を屠《ほふ》り、存分に勝軍の快を満喫した。

 八門金鎖陣完全沒有發揮效能,整個陣容已是土崩瓦解,慘不忍睹。當整個陣形崩解之後,單福又對玄德說:
「正是時候!」
 下令總攻擊。
 新野軍雖兵寡勢弱,卻因擅於掌握時機,所以能打敗驍勇善戰的大軍,享受戰勝的喜悅。



 《三国志》  赤壁の巻 亡流 一
 《三國英雄傳》赤壁之卷 流亡 1 (P.99)


 この大敗北は、やがて宛城にいる曹操の耳に達した。曹操は、すべてが孔明の指揮にあったという敗因を聞いて、
「諸葛匹夫、何者ぞ」と、怒髪をたてて罵った。
 すでに彼の大軍は彼の命を奉じて、新野、白河、樊城など、一挙に屠《ほふ》るべく大行動に移ろうとした時である。帷幕にあった劉曄が切にいさめた。
「丞相の威名と、仁慈は、(後略)

 此時,曹軍大敗的消息也傳到屯兵於宛城的曹操耳中。曹操一聽說是由孔明策畫、指揮這場戰役時,更是怒髮衝冠地罵道:
「這個姓諸葛的混帳,什麼東西!」
 於是下令大舉攻伐,朝新野、白河、樊城進軍,來一次大規模的屠城。
 但是,幕僚之一的劉曄則懇切規勸:
「丞相的威名與仁德,(後略)



 《三国志》  望蜀の巻 降参船 五
 《三國英雄傳》望蜀之卷 降船 5 (P.19)


 蔡和は、哀号して、甘寧や闞沢も自分と同腹なのに、自分だけを斬るのはひどいと喚いたが、周瑜は笑って、
「それはみな、自分がさせた謀略である」
 と、耳もかさず、一閃の下に屠《ほふ》った

 蔡和不禁哀嚎,並且叫稱甘寧、闞澤也是和自己一夥的,如今只殺他一個人,未免有失公道。
 周瑜一聲狂笑,說:
「那都是我的安排。」
 說完,一刀斬於劍下。

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 同巻 黄忠の矢 二
 同卷 黃忠的箭 2 (P.110)


 楊齢というのは、長沙の太守韓玄の股肱の臣で、防戦の指揮官を自分から買って出た大将だったが、この日、関羽がその楊齢を一撃に屠ってしまったので、長沙の兵は潰乱してたちまち城地の第二門へ逃げこんでしまった。

 楊齡為長沙太守韓玄的左右手,這次主動要求擔任防戰的指揮官。這一天,關羽一刀便斬死楊齡於陣前,長沙兵大都潰亂而逃,向內城的城門倉惶而逃。

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 同巻 西蜀四十一州図 一
 同卷 西蜀四十一州圖 1 (P.324)


「聞説。魏の丞相曹操は、むかし濮陽に呂布を攻めて呂布にもてあそばれ、宛城に張繍と戦うて敗走し、また赤壁に周瑜を恐れ、華容に関羽に遭って泣訴して命を助かり、なおなお、近くは渭水潼関の合戦に、髯を切り、戦袍を捨てて辛くも逃げのがれ給いしとか。さるご名誉を持つ幕下の将士とあれば、たとい百万、二百万、挙げて西蜀に攻め来ろうとも、蜀の天嶮、蜀兵の勇、これをことごとく屠《ほふ》るに、なんの手間暇が要りましょうや。丞相もし蜀の山川風光の美もまだ見給わずば、いつでもお遊びにおいでください。おそらくふたたび銅雀台にお還りの日はないでしょう」

「聽說丞相在濮陽攻打呂布之時,曾遭其戲弄;於宛城與張繡作戰,也大敗而逃;又於赤壁一戰,見了周瑜便著荒;華容道上與關羽相遇,竟至哭訴求饒;潼關之戰,若非割髯捨袍,勢難脫逃。以這種軍隊來攻蜀,就算有百萬之數,在蜀人勇敢抵抗與天嶮保護之下,要盡數殲滅又有何難?丞相如果對蜀地風光嚮往的緊,不妨前往一遊,只是此去可就再也沒有回轉銅雀臺的一日了。」



 《三国志》  出師の巻 蛮娘の踊り 二
 《三國英雄傳》出師之卷 蠻女起舞 2 (P.332、P.333)


 (前略)
 と、覚悟の臍をきめて、孟獲兄弟と同生同死の血をすすりあい、蛮軍数万の土兵にまでこれを宣したので、孟獲も大いに励まされ、
「たとえ此処までたどり着いても奴らは疲れている兵だ。何で負けるものか。大王さえその気になってくれれば、必ず勝てる。こんどこそ蜀勢数万は一匹も生かして帰さない」
 と、豪語した。そしていよいよ闘志を磨き、また牛を屠《ほふ》り馬を殺して軍中大酒を振舞い
「蜀軍は贅沢な装備と莫大な軍需を持っている。あの良い槍、良い剣、良い戟、良い甲、良い戦袍、良い馬、そしておびただしい車馬に積んできた食糧や宝は、すべて皆、汝たちに与えられる物だ。蜀軍をみなごろしにすれば、恩賞として頒けてやる。奮えや奮え」
 と、士卒の蛮性を鼓舞激励していた。ところへ、快報が入った。
「隣洞の酋長、楊鋒一族が、三万余人をつれて、味方しに来た」
 と、いうのである。

 (前略)
 有了這等覺悟,朵思王當下與孟獲兄弟歃血為盟,誓言同生共死,並向數萬蠻軍告知此事。孟獲受到鼓勵,登時發出豪語:
「敵人遠來疲弱,對各位來說,對付一支弱兵是輕而易舉之事,如今有朵思王坐鎮,加上有我兄弟二人協助,定叫賊兵一個也無法活著回去。」
 繼之殺牛宰馬,犒賞全軍,以鼓舞士氣。又說;
「此次蜀軍大舉來犯,軍備方面必然相當可觀,不但槍劍鋒利,更有堅固的戰袍盔甲,馬匹也是端地駿逸,車馬之上盡是糧食珠寶。這麼多的好東西,將來若是得勝,就全是你們的了,所以我們一定要全力作戰,消滅敵人。」
 猶不脫蠻性的洞兵聞之,莫不興奮歡呼。此時傳來快報:
「鄰洞酋長楊鋒,率族人三萬,加入我軍陣容。」



 《三国志》  五丈原の巻 洛陽に生色還る 二
 《三國英雄傳》五丈原之卷 搶救洛陽 2 (P.78)


 緒戦の第一歩に、大将を失った徐晃軍は、急襲してきたその勢いを、いちどに怯ませて、先鋒の全兵みな、わあと、浮き足たった。
 城のやぐらからそれを眺めた孟達は、いささか勇気を持ち返して、
「わが大事は、露顕したらしいが、射手の勢は、多寡の知れた人数。しかも大将徐晃はただ一と矢に射止めた。蹴ちらす間には、やがて金城、上庸の援軍も来る。衆みな門を出て、怯み立った寄手どもを一兵のこらず屠《ほふ》ってしまえ」と、金城へ急命を出した。
 城兵は各門から突出して、魏兵を追いくずした。孟達も馬をすすめ、
「あな快や」と、敵勢を薙ぎ伏せ、蹴ちらして、果てなく追撃を加えた。

 徐晃的軍隊在序戰之初就頓失大將,原本急攻而來的軍隊不禁膽怯,所有的前鋒士兵也都躊躇不前。城樓上的孟達一看,立刻恢復了勇氣。
「雖然大事似乎敗露,但攻來的敵兵人數有限,同時大將徐晃被我一箭命中。更何況,在我們還擊期間,西城、上庸的援軍很快就會趕來,所以大家不必怕,一起出城殺光敵人吧!
 然後立刻向西城發出急援要求。於是城兵從各門蜂擁而出,追趕魏兵。孟達也策馬前進,一邊砍殺敵人,一邊大喊:
「真痛快!」



おまけ:
雖然這邊的「屠」是唸成「ころす」,不過卻出現了原版說是參照原書三國志(演義),實際上在同段落卻找不到,憑空出現的敘述。就特別擺在最後當附錄了。

 《三国志》  出師の巻 女傑 一
 《三國英雄傳》出師之卷 女傑 1 (P.338)


 それと当年の蛮都を写している原書三国志の記述を見ても――
 コノ地銀坑山ト曰ウハ、瀘水、甘南水、西城水ノ三江繞リ、地平ラカニシテ北千里ガ間ハ万物ヲ多ク産シ、東三百里ニシテ塩井アリ、南三百里ニシテ梁都洞アリ、南方ハ高山ニシテ夥シク白銀ヲ産ス。
 故ニ都ヲ銀坑洞ト称シ、南蛮王ノ巣トシ、宮殿楼閣悉ク銀映緑彩、人ハミナ羅衣ニシテ烈朱臙脂濃紫黄藍を翻シ、又好ンデ、橄欖ノ実ヲ噛ミ、酒壺常ニ麦醸果酵ヲ蓄ウ
 宮殿裡、一祖廟ヲ建テ、号シテ家鬼ト敬イ、四時牛馬ヲ屠《コロ》シテ、之ヲ祭ルヲ卜鬼ト名ヅケ、年々外国人ヲ捕エテ牲エニ供ウ。採生の類略々カクノ如シ。

 等としてある。

 在三國演義的原書當中,對銀坑洞的描述如下――
 那洞外有三江:乃是瀘水、甘南水、西城水。三路水會合,故為三江。其洞北近平坦三百餘里,多產萬物;洞西二百餘里,有鹽井;西南二百里,直抵瀘、甘;正南三百里,乃是梁都洞,洞中有山,環抱其洞;山上出銀礦,故名為銀坑山。山中置宮殿樓臺,以為蠻王巢穴。其中建一祖廟,名曰「家鬼」。四時殺牛宰馬享祭,名曰「卜鬼」。每年常以蜀人並外鄉之人祭之。

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