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2. 陳嬉 - 吉川三國志之問題角色敘述與台版譯文比對

竜宮ユウ | 2016-05-28 10:04:57 | 巴幣 2 | 人氣 293

系列文章未完,等最後的時候再說明。
本系列文章目的重於對照與吐嘈,有興趣的人也可以自行再去比對。



陳嬉
曹操軍將領。在接到吳軍放出周瑜因箭傷傷重死亡的假情報後,
跟當時駐守南郡的曹仁、牛金等人合議夜襲吳軍。

疑似指該劇情中出現的長史「陳矯」,錯了一個字就多了一名角色這樣

在光榮特庫摩的《三國志》系列,則於初代及二代登場,意外地連出兩代



對照・其一
 《三国志》  望蜀の巻 一掴三城 二
 《三國英雄傳》望蜀之卷 連下三城 2 (P.62)



「戦況いかに?」と、城中の櫓から眺めていた曹仁は、牛金の危急を見て、自身手勢を率いて、救いに出ようとした。
 すると、長史陳矯が、
「丞相がこの城を託して都へ帰らるる時、何と宣われましたか」
 と、口を極めて、軽率な戦いを諫めた。

「怎麼辦?」
 正在城樓上眺望的曹仁,目睹牛金危急,便打算親自率兵出城營救。
 長史陳矯極力規勸,不可輕率出戰。
「你還記得丞相將這座城託付予你時,說過什麼嗎?」

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陳矯初次登場的地方。



對照・其二
 同巻 一掴三城 七
 同卷 連下三城 7 (P.77)



 次の日の夕方ごろ、曹仁の部下が城外で、呉兵の一将隊を捕虜にして来た。訊問してみると彼らは、
「昨夜ついに、呉の大都督周瑜は、金瘡の再発から大熱を起して陣歿されました。で、呉軍は急に本国へ引揚げることに内々きまったようですから、所詮、呉に勝ち目はありません。勝ち目のない軍について帰っても、雑兵は、いつまで雑兵で終るしかありませんから、一同談合して降参に来たわけです。もしわれわれをお用い下さるなら、今夜、呉陣へ案内いたします。喪に服して意気銷沈している所へ押襲せれば、残る呉軍を殲滅し得ることは疑いもありませぬ」

 第二天傍晚,曹仁的部下在城外捕獲一支吳軍。追問之下,他們吐露道:
「昨天夜裡,大都督周瑜由於箭瘡復發,高燒不退,竟病故了,因此我軍正秘密決定返回吳國。我們認為東吳根本無勝算可言,既然如此,我們這些殘兵敗卒即使追隨返國,依然是殘兵敗卒,沒有什麼前途。如果能投降貴國,或許可以擔任突擊的嚮導,趁吳陣正在服喪,意氣消沉之際,今晚就發動攻擊,相信一定可以殲滅東吳的殘軍。」


 曹仁、曹洪、曹純、陳嬉、牛金などは、鳩首して密議にかかった。その結果、深更に及んで、呉の陣へ、大襲を決行した。

 曹仁、曹洪、曹純、陳矯、牛金群龍聚首,經過一番討論之下,終於決定深夜之後,對吳軍陣地發動全面攻擊。

吉川版獨有的陳嬉,只出現在這裡。

演義在這裡則是一致的把陳矯當成曹仁軍師,
「此計速行,不可遲誤」,肯定夜襲作戰的關鍵人物。



對照・其三
 同巻 一掴三城 八
 同卷 連下三城 8 (P.80)



 周瑜の驚きかたは、ひと通りや二通りではない。失神せんばかり面色を変えて、
「いったい、どうして、曹仁の兵符が、孔明の手になんかあったのか」と、叫んだ。
 程普が、首を垂れていった。
「孔明、すでに荊州を取る。荊州の城にいた魏の長史陳矯は、城に旗の揚がるよりも先に、孔明に生擒られてしまったにちがいありません。兵符は常に、陳矯が帯びていたものです」
 聞くや否、周瑜は、
「――あっ」と床に仆れた。

 周瑜此驚非同小可,幾乎昏厥在地,他嘟嚷著:
「曹仁的兵符,孔明是怎麼到手的?」
 程普低著頭說:
「兵符通常是由魏國的長史陳矯所保管。孔明擒拿陳矯之後,兵符自然就到手了。」
 周瑜聽到這裡,「啊!」的一聲,便暈倒在地。

陳矯的結局,就是個貴重道具持有者(敵方)活該被抓的戰犯
所以被抓之後怎麼樣就不重要了。

題外(?)話。
原本以為這個問題可能是在報紙印刷時,檢字人員挑錯字的緣故。
但是後來查過臺灣日日新報,發現那時候就已經是「陳嬉」了,
那麼日本當地的連載,也應該一樣會是「陳嬉」才對。
另外,跟小說單行本相同,在許多字詞的旁邊會標註讀法;
而「陳嬉」旁邊標註的,是相符的「ちんき」。

看起來問題的根源,就應該是要更往上推:
要嘛作者一開始就寫成「嬉」,要嘛就編輯校稿認錯「矯」字,類似這樣。
雖然前者這種推斷對已故大師還滿失禮的。

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